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東京地方裁判所 昭和61年(刑わ)1042号 判決

主文

被告人横手文雄を懲役二年に、被告人稲村左近四郎を懲役二年六月に処する。

被告人両名に対し、この裁判の確定した日から三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人横手文雄から金二00万円を、被告人稲村左近四郎から金五00万円を、それぞれ追徴する。訴訟費用中、証人A、同B、同H3、同D、同E、同F、同H4、同宮本浩次、同J、及び同Kに支給した分は被告人横手文雄の負担とし、証人L及び同Mに支給した分は被告人稲村左近四郎の負担とし、その余はその二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(認定事実)

第一  被告人らの経歴

一  被告人横手文雄

被告人横手は、鹿児島県の中学校を卒業し、滋賀県の紡績会社で実習生として勤務しながら、昭和三0年定時制高等学校を卒業し、昭和三一年同学校の専攻科を修了した後、愛知県の紡績会社で工員として稼働していたが、昭和三七年二月同会社を退職して、ゼンセン同盟愛知県支部の職員となり、右同盟静岡県支部次長を経て、昭和四六年八月右同盟福井県支部長に就任し、昭和五0年一0月右同盟政治顧問を兼任したが、昭和五四年一一月福井県支部長を、昭和六一年七月政治顧問をそれぞれ解任され、現在は右同盟政治局付(福井常駐)の地位にある者である。なお、同被告人は、昭和四六年八月から昭和五四年九月まで福井地方同盟会長の地位にあったが、同月以降は右同盟常任顧問となっている。

被告人横手は、昭和三七年二月民社党に入党し、昭和五四年一0月七日施行の衆議院議員総選挙に同党公認候補として福井県選挙区から立候補して当選し、以来連続三回当選したが、昭和六一年四月同党を離党し、同年七月施行の衆議院議員総選挙には無所属候補として立候補したものの落選した。その間、同被告人は、昭和五四年一一月から昭和五五年二月まで、同月から同年五月まで、同年七月から昭和五八年一一月まで及び同年一二月から昭和六一年六月まで、衆議院商工委員を務め、また同院法務委員会理事なども務めた。

また、同被告人は、民社党では、中小企業対策委員会副委員長(昭和五六年三月から昭和六0年五月まで)、労働局副局長(昭和六0年五月から昭和六一年四月まで)、国会対策委員会内繊維・衣料・流通対策特別委員会事務局長(昭和五八年四月から昭和六一年四月まで)、国会対策委員会内中小企業問題対策特別委員会事務局長(昭和五八年四月から昭和五九年二月まで)、福井県連合会委員長(昭和五四年一一月から昭和六一年四月まで)等の役職を歴任したが、前記のとおり昭和六一年四月同党を離党した。

二  被告人稲村左近四郎

被告人稲村は、石川県の小学校を卒業して、昭和二九年四月東京都中央区で土木建築綜合請負等を目的とする稲村建設株式会社を設立してその代表取締役となり、以後概ね同会社代表取締役の地位にあったが、昭和五八年一二月取締役を辞任し、昭和五九年一一月再び同会社の取締役に就任して現在に至っている者である。

被告人稲村は、昭和三八年一一月二一日施行の衆議院議員総選挙に無所属で石川県第二区から立候補して当選し、ただちに自由民主党(以下、自民党という。)に入党し、その後七回自民党公認候補として連続当選したが、昭和六一年七月施行の総選挙には立候補しなかった。この間、同被告人は、衆議院議員として、昭和四0年五月から昭和四一年一二月まで、昭和四二年二月から同年一二月まで、昭和四七年七月から同年一一月まで、同年一二月から昭和五一年一二月まで及び昭和五六年一二月から昭和五八年一一月まで同院商工委員を、昭和四七年八月から同年一一月まで及び同年一二月から昭和五0年三月まで同委員会理事を、昭和五一年一月から同年一二月まで同委員長を務めたほか内閣委員会理事なども務めた。また、同被告人は、昭和四六年七月から昭和四七年七月まで通商産業政務次官の、昭和五二年一一月から昭和五三年一二月まで国務大臣総理府総務長官兼沖縄開発庁長官の、昭和五八年一二月から昭和五九年一一月まで国務大臣北海道開発庁長官兼国土庁長官の各地位にあった。

さらに、同被告人は、自民党では、副幹事長(昭和四九年一一月から昭和五一年一月まで及び同年一二月から昭和五二年一一月まで)、全国組織委員会商工局長(昭和四八年一二月から昭和四九年一二月まで)、総務(昭和五五年七月から昭和五六年一二月まで)、国会対策委員会副委員長(昭和四五年一月から昭和四六年七月まで)、政務調査会建設部会副部会長(昭和四二年一二月から昭和四三年一二月まで)、政務調査会繊維対策特別委員長(昭和四七年七月から昭和四九年一一月まで)、同副委員長(昭和五二年二月から同年一一月まで及び昭和六0年五月から昭和六一年二月まで)、同副委員長(委員長代理。昭和五四年一一月から昭和五五年八月まで及び同月から昭和五八年一二月まで)、同委員長代理(昭和五五年八月)、石川県支部連合会会長(昭和五二年四月から昭和五四年六月まで及び昭和六0年三月から昭和六一年五月まで)等を歴任したが、昭和六一年五月同党を離党した。

第二  本件の前提ないし背景となる事情

一  日本撚糸工業組合連合会の概要等

1 昭和二八年四月、中小企業安定法所定の中小企業調整組合連合会として日本撚糸調整組合連合会が通商産業大臣(以下、通産大臣という。)の認可を受けて設立されたが、同連合会は、昭和三三年四月、中小企業団体の組織に関する法律(以下、団体法という。)が施行されて中小企業安定法が廃止された際、団体法附則により同法所定の商工組合連合会とみなされることになり、同年七月、日本撚糸工業組合連合会(以下、撚糸工連ともいう。)と名称を変更した。なお、撚糸工連の事務所は、東京都新宿区四谷四丁目一一番地日新ビル内にあったが、昭和五七年一一月ころ、東京都中央区八重洲二丁目五番四号所在日本撚糸会館に移転した(ただし、登記簿上は右事務所移転の日は昭和五八年三月一日とされている。)。

2 撚糸工連は、ねん糸の生産の事業を資格事業とする商工組合(各地区ごとに組織されているため、産地組合とも呼ばれる。)を会員とする商工組合連合会であるところ、その目的は、ねん糸製造業の中小企業者の改善発達を図るための必要な事業を行い、会員及びその組合員の公正な経済活動の機会を確保し、並びに経営の安定及び合理化を図ることとされ、その目的を達成するため種々の事業を行うものとされるが、会員の組合員の所有する設備にかかる共同廃棄事業(後記二)もかかる事業の一つに当たる。なお、撚糸工連は、昭和五0年二月、出資組合に移行した(団体法四五条一項)。

3 撚糸工連の役員としては理事及び監事がいるが、定款により、理事会で理事の中から理事長、副理事長、専務理事、常務理事を選任することとされている。理事長は撚糸工連を代表しその業務を執行する(なお、団体法四七条二項、中小企業等協同組合法四二条、商法二六一条)撚糸工連の最高責任者であって、昭和五七年当時Oがその地位にあった。専務理事は、常務理事とともに理事長、副理事長を補佐して撚糸工連の常務を執行するものとされ、撚糸工連の業務執行の実際上、最高の常勤役員として、事務職員を指揮し、撚糸工連の各種事務を掌握する立場にあり、同年当時Iがその地位にあった。

4 なお、前記Oは、昭和三0年に石川県でねん糸製造業を始め、昭和三五年O合繊工業株式会社を設立して、昭和四二年その代表取締役になり、昭和六一年二月にはこれを辞任するなどしたが、その後も同会社及びその関連会社の経営に当たっている者である。Oは、昭和四六年七月から昭和五七年五月まで石川県撚糸工業組合(撚糸工連の会員である商工組合の一。以下、石川県工組という。)の理事長を務めたほか、昭和四九年五月には撚糸工連の理事長にも就任したが、昭和六一年二月これを辞任した。

前記Iは、昭和二四年商工省に入り、通商産業省(以下、通産省という。)繊維局、生活産業局(繊維製品課、原料紡績課〔以下、原紡課ともいう。〕)等に勤務した後、昭和五0年四月同局繊維製品課課長補佐(織物第一班長)を最後に退官し、直ちに撚糸工連に専務理事として迎えられたが、昭和六0年九月これを辞して嘱託に退き、昭和六一年三月には右嘱託も解除されるに至った者である。

二  仮より機の設備共同廃棄事業

1 ねん糸機は、仮より糸を製造する仮より機とそれ以外の一般ねん糸を製造する一般ねん糸機とに大別される。仮より機は、合繊メーカーが製造したポリエステル、ナイロン等の合成繊維の熱可塑性を利用して、その長繊維糸に捲縮性を与え、かさ高性のある糸、すなわち仮より糸を製造する機械である。一般に、ねん糸製造業は、小規模の業者によって営まれることが多く、地域的には北陸地方の比重が大きいが、特に仮より糸製造業者は、石川、福井、富山の北陸三県に集中している傾向にある。

2 ところで、昭和四0年代後半ころからわが国繊維産業は、国内需要の低迷、輸出競争力の減退等の事情を反映して、長期的な不況状態にあったが、仮より糸製造業を含むねん糸製造業も、その不況には深刻なものがあった。

そこで、撚糸工連は、通産省に団体法五七条、五八条所定の各命令の実施方を求め、設備登録制の実行により生産設備を抑制しようとしたほか、仮より機やその他のねん糸機について設備共同廃棄事業を行い、業界全体における過剰設備の廃棄を図ってきたところ、右仮より機設備共同廃棄事業の概要は、以下のとおりである(なお、撚糸工連が行ってきた廃棄事業の中には、中小企業事業団の高度化資金の融資を伴わないものもあるが、この種の類型についてはここでは触れない。)。

撚糸工連等出資組合である商工組合連合会は、会員である商工組合の組合員が事業の用に供している設備を取得して廃棄すること、すなわち、設備共同廃棄事業を行うことができる(団体法三三条、一七条二項一号)。

一方、かかる設備共同廃棄事業は中小企業事業団法(以下、事業団法という。)二一条一項二号イ(中小企業基本法三条四号)所定の「中小企業構造の高度化に寄与する事業」にも該当するから、事業団法所定の中小企業者に当たる(事業団法二条一項四号、団体法三条一項九号)撚糸工連は、中小企業事業団(以下、事業団ともいう。)から該事業に必要な資金の一部の貸付(高度化資金の融資)を受けることができ、事業団は関係府県から必要な資金の一部の貸付を受けて、撚糸工連に対する右融資を行うことになる(事業団法二一条一項三号、二号イ、三項、同法施行令三条一項一一号、三項一号)。そして、この場合の事業団の撚糸工連に対する資金貸付の内容、条件は、無利子、償還期限一六年以内(据置期間四年以内)、貸付金額が取得資金の九0パーセント(九0パーセントを上回ることについて通産大臣の承認を受けたときは、当該承認にかかる比率以内)等というものであって(中小企業事業団業務方法書一三条一項(13)事業団法二三条)、撚糸工連にとり極めて有利なものであった。

このように、設備共同廃棄事業の実施主体は撚糸工連であるが、右のような事業の性質上、具体的には、撚糸工連は、設備共同廃棄事業を計画した場合、撚糸工連に対する監督等にあたる通産省生活産業局(担当は原紡課。)にその旨を申し出、これを受けた原紡課では、撚糸工連に指導、助言を加えながら、その内容を検討し、その実施を相当と認めると、次に、事業団に対する監督事務等を所掌する中小企業庁(以下、中企庁ともいう。担当は計画部計画課。)に協議を求めることになる。計画課では、右事業が高度化資金融資対象事業としての適格性、必要性を備えているか等の観点からこれを検討し、右事業の実施ないしその概要について右原紡課と計画課間で協議が整うと、撚糸工連は、原紡課の指導を受けながら、事業の実施計画書(案)等を作成し、次いで、生活産業局、中企庁、事業団、関係府県及び関係通商産業局の参加する指導会議で、右事業の実施内容を具体的に確定する(中企庁長官通達〔「中小企業高度化事業の運用について」五六企庁第八二五号〕では、このような場合、通商産業局が高度化事業の診断をするものとしているが、仮より機の設備共同廃棄事業の場合、右のような指導会議をもって、右診断に代える取扱いがなされている。)。こうして、撚糸工連は、事業参加者(仮より機の廃棄を希望する産地組合組合員)との仮より機売買契約に基づいて仮より機を買受けた上これを廃棄する一方、事業団の事務を受託している商工組合中央金庫を介して事業団に対し高度化資金の借入申込みを行い、事業団は、通産大臣の許可(事業団法二九条一項)を得て所用資金の一部の貸付を関係府県から受ける手続を経た上(そのためには、あらかじめ、関係府県が右貸付のための予算措置を講じておく必要があるから、撚糸工連等としては事前に関係府県に対しその旨の要請をしておく必要がある。)、商工組合中央金庫を介して撚糸工連に対し高度化資金を貸付けることになる。

仮より機設備共同廃棄事業は、実際上概ね以上の過程を経て計画、実施されるのであり、従って、事業主体たる撚糸工連としても、生活産業局(原紡課)、中企庁(計画課)等の関係機関などの了解、合意を得なければ、高度化資金の融資を受けて右事業を実施することができない仕組となっている。

3 撚糸工連は、前記2のとおりのねん糸製造業の不況に鑑み、仮より機について、昭和四七年度に対米繊維製品輸出自主規制に伴う特別措置として政府補助金による買上廃棄を行ったほか、前記2の高度化資金融資による設備共同廃棄事業として、昭和四九、五0両年度に六一五台(一0万二七七六錘)を、昭和五三年度に四三五台(八万0一二0錘)を、それぞれ買上げて廃棄し、そのため右両設備共同廃棄事業実施前三五00台を超えていた仮より機は約二八00台に減少した。しかし、その後も依然として不況状態が継続し、石油価格高騰とそれによる電気料金の大幅上昇、原糸メーカー自身が仮より糸製造の工程までを行ういわゆる内製化の進展等の状況も加わり、昭和五五年後半ころから、仮より糸製造業界の中に、設備の過剰傾向がまたも顕在化してきたとして、仮より機について三度目の設備共同廃棄事業を求める声が高まってきた。そこで、撚糸工連も、これを受けて、昭和五六年ころ、仮より機の第三次設備共同廃棄事業(以下、本件設備共同廃棄事業ともいう。)の実施に向けて検討を始め、同年一一月、撚糸工連理事会で前記Oが正式に本件設備共同廃棄事業実施の意向を表明して、理事会の了承を得た。

そして、原紡課も、撚糸工連から、本件設備共同廃棄事業を実施したい旨の申出を受け、T1課長、T2総括班長(ただし、昭和五七年四月に就任。)、T3化繊班加工糸係長らが、撚糸工連から関係資料の提供を受けるなどして検討した結果、昭和五七年六月ころ、本件設備共同廃棄事業実施の意向を固め、同年七月初めころ、計画課との間で、右事業実施のための正式な協議を始めるに至った。

ところで、そのころ、撚糸工連は、昭和六0年度における過剰率を二四.四パーセントと見込んだ上、仮より機約三八0台(六万八五五三錘)を廃棄することとし、その実施時期を昭和五七年九月ないし一二月とすることを計画していた。また、設備共同廃棄事業における設備の買上価格については、中企庁長官通達(「中小企業高度化事業の運用について」五六企庁第八二五号)によると、これを原則として廃棄設備の簿価の三倍以内とし、簿価が不明等のため簿価によることが著しく困難であると認めるときは、再調達額の二分の一以内で定めることができるとされ、ただし、中企庁長官が特別の理由があると認めたときはこの限りでないものとされているところ、前回の昭和五三年度における設備共同廃棄事業では、右通達の原則どおり、買上価格を簿価の三倍以内に設定していたのであるが、仮より糸製造業界では、右前回設備共同廃棄事業以降、帳簿に計上された目立った設備投資はなされていないのが通例であり、右通達の原則に従い残存簿価を基準にした場合、本件設備共同廃棄事業における買上価格は前回設備共同廃棄事業におけるそれを大幅に下回る状況にあったことから、撚糸工連としては、本件設備共同廃棄事業における買上価格を、再調達額の二分の一、少なくとも前回設備共同廃棄事業における買上価格並みに設定することを強く要望していた。原紡課も、撚糸工連の右計画、要望にそって、計画課との協議を始めたのであるが、これを受けた計画課のT4課長やT5高度化班企画係長ら担当者は、以前に二度も設備共同廃棄事業を実施していること等に鑑みても、右の程度の過剰率、廃棄規模では高度化事業としての適格性、必要性に疑問があるなどとして、本件設備共同廃棄事業の実施自体に問題があるとの立場をとり、また、買上価格についても、前記通達の原則に従い残存簿価の三倍以内に設定すべきであるなどと主張し、このため、原紡課、計画課の協議は当初から難航した。

そこで、両課は、買上価格の問題等はひとまずおいて、本件設備共同廃棄事業の実施の可否に直接関連する事業規模の問題等を先に検討することとし、計画課の意向を受けて原紡課が撚糸工連と調整するなどした結果、昭和五七年七月二九日ころに至って、昭和六0年度における予想過剰率を三0パーセントと見込んだ上、廃棄台数を五九0台(一0万六二00錘、廃棄率二二.三パーセント)として本件設備共同廃棄事業を実施することで、両課間に合意が成立した。

しかしながら、両課間に合意が成立したのは、本件設備共同廃棄事業の廃棄台数のみであって、最大の懸案の一つであった買上価格の問題等については、なお今後の両課の協議、検討に委ねられていたのであり、それに伴い右事業を昭和五七年内に実施し得るかも依然明らかでないなど、右事業が撚糸工連の前記希望にそって行われるか否かはなお予断を許さない状況にあった。

4 一方、O、Iら撚糸工連幹部は、Oが前記撚糸工連理事会で本件設備共同廃棄事業実施の意向を表明して以来、撚糸工連やさん下組合の関係者らに対し、一貫して、右事業を昭和五七年中に実施して同年中に買上代金を支払い、また買上代金の額は少なくとも前回価格並みとする旨の方針を表明し、右方針にそって本件事業を実施すべく種々の準備作業を進めていた。しかし、買上価格について原紡課と計画課との協議が難航していたことは前記のとおりであり、また実施時期の点についても前記のとおりの本件設備共同廃棄事業の計画の進捗状況に照らすと、昭和五七年内の実施、代金支払が可能か、次第に微妙な情勢になってきたのであり、特に、年内支払を可能とするためには、前記2の関係府県による貸付の関係で、関係府県の九月補正予算にこの関係の支出を組込んでもらう必要があったところ、本件設備共同廃棄事業の準備の進捗状況いかんによっては、右補正予算の措置が間に合わないおそれもあった。このような状況にあって、O、Iらは、本件設備共同廃棄事業を前記のとおりの方針で行い得るか焦慮し、特に同年六月ころには、本件事業の成行きを強く危惧するようになり、同年七月二九日ころにおける原紡課、計画課の前記合意の後も、依然、ことに右買上価格、実施時期の点で撚糸工連の前記方針がいれられるか否かを強く懸念していた。

三  O、Iの被告人稲村に対する陳情等

Oは、本件設備共同廃棄事業実施のため、昭和五七年三月末ころ生活産業局長のT6に会って陳情するなど、通産省関係者に働きかける一方、従来から密接な関係にあり撚糸工連の事業について助力方陳情することも多かった被告人稲村に対し、同月ころ以降、電話ないし面談の方法により、本件設備共同廃棄事業の実施のため通産省関係者に働きかけるなどして助力してくれるよう陳情した。特に、前記二4のとおり本件事業の成行きを強く危惧するようになっていた同年七月には、Oは、東京都千代田区永田町二丁目一番二号衆議院第二議員会館(以下、単に議員会館ともいう。)三三八号室の被告人稲村の事務室に同被告人を訪ね、同被告人に対し、本件設備共同廃棄事業については重要な買上価格と実施時期の点がまだはっきりしていないこと、買上価格は前回並みにして欲しいこと、業者にも年末までに金を渡すように言ってあるが、そのためには関係府県の九月の補正予算に間に合うようにしてもらわなければならないこと等を話した上、T6局長が中企庁にその旨うまく話してくれるよう被告人稲村から同局長に働きかけてもらいたい旨要請し、併せて、この問題を衆議院商工委員会で取上げるなり、商工委員会で他の委員が繊維問題を扱うときに本件設備共同廃棄事業の問題も取上げるよう働きかけるなりして欲しい旨依頼した。これに対して、同被告人は、自分に任せておけなどと言って、右陳情を応諾した。

一方、Iも、被告人稲村の秘書H1にしばしば会い、また時に同被告人にも直接会うなどして、その時々における本件設備共同廃棄事業の準備の進捗状況等や、前記買上価格、実施時期等の問題点を報告するなどし、同被告人の助力方を要請した。特に、同年七月に入ると、Iは、前記二4のとおり本件設備共同廃棄事業の成行きを危惧し、頻繁に被告人稲村の前記事務室を訪問してH1に会い、事態を打開するため同被告人がT6局長に働きかけるようにして欲しい旨要請するとともに、衆議院商工委員会でこの問題を取上げるようにしてはどうかなどとH1と話し、こうして、H1を介して被告人稲村に対し、Oの前記依頼と同趣旨の依頼を続けた。

四  被告人稲村の通産省関係者に対する働きかけ

被告人稲村は、O、Iから、前記三のとおり、本件設備共同廃棄事業実施のため各種の陳情を受け、昭和五七年四月ころ、生活産業局長室にT6を訪ねて、本件設備共同廃棄事業をできるだけ早くやれるようにして欲しい旨要請し、同年五月か六月初めころ、T6に電話して、本件設備共同廃棄事業をよろしくとの趣旨を述べ、また同年七月にも、自ら中企庁へ行った後、生活産業局長室にT6を訪ねて、右同趣旨の要請をした。また、前記H1も、生活産業局長室にT6を訪ね、被告人稲村の前記要請と同旨の依頼をした。

T6は、被告人稲村が、衆議院商工委員会の経験が長い現職の商工委員である上、自民党の政務調査会繊維対策特別委員会(以下、繊特ともいう)の経験も長く、通産政務次官や国務大臣の経歴もある繊維関係の有力議員であることから、同被告人に対しては相応の対応をする必要があると考えていたため、同被告人から前記のような働きかけを受けて、本件設備共同廃棄事業の作業をさらに早めなければならないと感じ、同被告人から右のような働きかけを受けた旨T1原紡課長にも伝えるなどして、原紡課員らに対し、暗に本件設備共同廃棄事業に関する作業の進捗方を促した。

また、被告人稲村は、同年六月ころ、担当課長として右事業の進捗状況等を同被告人に説明するため前記議員会館の同被告人の事務室を訪問したT1が、本件設備共同廃棄事業の計画、準備の進捗状況や問題点等を説明したのに対し、「まあ急いでやってくれよ。しっかりやってくれ。」と述べて、本件設備共同廃棄事業の早期実施方を要求し、H1も、同年七月、T1に電話して、撚糸工連のOから共廃(設備共同廃棄事業の意。なお、設廃とも略称する。)を早くやってくれという陳情を受けているけれどもどうなっているかなどと述べ、やはり本件事業の早期実施方を求めた。

T1は、被告人稲村が撚糸工連の要望と同じ方向を向いた要求をしていると理解するとともに、前記T6同様、同被告人を繊維関係の有力議員と認識していたことから、同被告人のかかる要求は十分心にとめて対処しなければならないと考え、同被告人から要求を受けたことはT6にも報告するとともに、部下の課員にもその旨話し、同人らに対し本件設備共同廃棄事業関係の作業の進捗を促すなどした。

第三  被告人横手の受託収賄関係の事実

一  被告人横手の職務権限

1 被告人横手は、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員総選挙に当選し、同年七月一八日同院商工委員に選任され、昭和五八年一一月二八日衆議院が解散されるまでその地位にあった。

2 衆議院商工委員会(以下、単に商工委員会ともいう)は、同院の常任委員会の一であって、通産省の所管に属する事項等を所管し(国会法四0条、四一条一項、二項九号、衆議院規則九二条九号)、その所管に属する議案などを審査等するものとされている。

そして、常任委員会は、会期中に限り、議長の承認を得て、その所管に属する事項につき国政調査をすることができ(衆議院規則九四条一項)、そのために、証人から証言を求め、委員を派遣し、内閣、官公署その他に対し、必要な報告又は記録の提出を要求し、また、国務大臣、政府委員等から説明を聴取し、質疑を行うなどすることができる(衆議院規則五三条ないし五六条、衆議院委員会先例集[昭和五三年版]一七八)。常任委員会は、会期の初め、その所管に属する事項につき、書面をもって議長に対し国政調査の承認を求めるのが例である(衆議院委員会先例集[昭和五三年版]一七九)。

3 昭和五六年一二月二一日第九六回国会が召集され、同日開会された商工委員会で、通商産業の基本施策に関する事項、中小企業に関する事項、資源エネルギーに関する事項、特許及び工業技術に関する事項、経済の計画及び総合調整に関する事項、私的独占の禁止及び公正取引に関する事項、鉱業と一般公益との調整等に関する事項の七項目について国政調査を行う承認を議長に対して求める旨の議決がなされた。そこで、商工委員長が、同日付けで、衆議院議長に対し、調査する事項として前記七事項と、調査の目的として「日本経済の総合的基本施策の樹立並びに総合調整のため。通商産業行政の実情を調査し、その合理化並びに振興に関する対策樹立のため。」と、調査の方法として「小委員会の設置、関係各方面からの説明聴取及び資料の要求等」と、調査の期間として「本会期中」と、各記載した国政調査承認要求書を提出し、同議長は同日これを承認した。

4 被告人横手は、商工委員会の委員として、前記3の国政調査を含む同委員会の議題について、自由に質疑し、意見を述べ、討論を終結して表決に付するときは、これに加わる等の権限を有している(衆議院規則四五条一項、五0条)。

二  本件一般質疑の経緯等

1 第九六回国会の会期中である昭和五七年七月七日に開催された商工委員会の理事懇談会で、同年八月四日及び同月六日の両日、国政調査に関する質疑(いわゆる一般質疑)を行うことが合意された。

2 右一般質疑では民社党・国民連合(以下、院内会派としての民社党・国民連合を指す場合にも、単に民社党という。)に約一時間三0分の質疑時間が割当てられる予定であったので、民社党の同委員会理事宮田早苗は、被告人横手を民社党の質疑者としようと考え、同年七月上旬ころ同被告人の秘書を通じてその旨を同被告人に伝えた上、同月中旬ころ、同被告人にその旨話したところ、かねて繊維問題について質疑を行いたいとの希望を有していた被告人横手は、これを了承し、なお、質疑時間が余った場合には、民社党割当て分の残りの時間は宮田早苗が質疑を行うこととした。そして、宮田早苗は、その旨を直ちに衆議院事務局委員部に連絡した。

3 昭和五七年七月二九日に行われた商工委員会の委員長及び理事打合せで、前記一般質疑の質疑時間等が決められ、民社党には同年八月六日に一時間三一分の質疑時間が割当てられることなどが取決められた。

4 昭和五七年七月三一日、衆議院事務局委員部から、通産大臣官房総務課に対し、被告人横手が同年八月六日に前記一般質疑を行うこと等の連絡があり、その日のうちに、官房総務課が通産省の関係各局にその旨連絡した。

5 被告人横手は、右の一般質疑(以下、本件一般質疑ともいう。)の機会に、繊維不況問題、ことに北陸地方の各繊維業界の問題等について、通産省の責任者に質問しようと考え、昭和五七年七月下旬ころ出身団体であるゼンセン同盟の政策責任者と打合せたり、同月三一日福井県撚糸工業組合(撚糸工連の会員である商工組合の一。以下、福井県工組という。)を含む福井市内の各繊維関係団体の事務所を訪ねて事情を聞くなどして、右質疑の準備を進めた。

三  O、Iが被告人横手に対し働きかけるに至った経緯及び後記六1の贈賄に関する謀議等

1 被告人横手は、昭和五七年八月初めころ、議員会館内廊下で被告人稲村と出会った際、かねて同被告人が繊維業界ことにねん糸業界と深い関係にあると認識していたことから、今後の一般質疑でねん糸問題について質問する旨話したところ、被告人稲村は、「そうか、うまく頼むで。ねん糸業界は今大変な時期や。撚糸工連から陳情書が出ているように撚糸工連も設廃事業で困っているので、そこらをうまく頼むで。」と言って、被告人横手に対し、本件一般質疑の際本件設備共同廃棄事業に関して撚糸工連に有利な質問をするよう依頼した。

2 一方、前記H1は、被告人横手が商工委員会で合繊不況問題について質問する旨昭和五七年八月上旬ころに聞知し、被告人稲村にその旨話したところ、同被告人は、自分からも被告人横手に依頼しておいた旨答えた。そこで、H1は、この件をIにも伝えておく旨被告人稲村に話した上、同月三日ころ、Iに電話で、被告人横手が商工委員会で合繊不況問題について質問する旨伝えるとともに、懸案の本件設備共同廃棄事業の件も質問してもらったらどうか、よろしければ同被告人を紹介するなどと話した。

3 Iは、被告人横手が従来撚糸工連と格別の関係があったわけでもない野党議員であったこと等から、H1の前記連絡を聞いて意外に感じたが、H1は被告人稲村の指示なり了解なりを受けてかかる連絡をしてきているものと察するとともに、前記第二・二3、4のとおりの本件設備共同廃棄事業の進捗状況にも照らすと、この時期に被告人横手に本件設備共同廃棄事業の進捗等のため商工委員会で質問してもらえれば効果があるであろうと思い、とりあえずOにその旨伝えることとし、当時石川県小松市にいたOに早速電話で連絡した。Oも、右連絡を受けて、被告人稲村の配慮に感謝するとともに、Iと同様、この機会に商工委員会で被告人横手に本件設備共同廃棄事業につき撚糸工連にとって有利な質問をしてもらえれば、本件事業を撚糸工連が希望するように進捗させるのに効果があると判断し、Iに対し、被告人横手と会って本件設備共同廃棄事業につき撚糸工連のため有利な質問をしてくれるよう依頼するとともに、右事業の問題点等について説明するよう指示した。そして、その際、O及びIは、被告人横手に対し右のとおり本件質疑の際撚糸工連のため有利な質問をすることの報酬として現金を供与することとする旨をも話し合って合意するとともに、その金額についてはH1の意見を聞いてみるよう、OがIに指示した。そしてさらに、その際、O及びIは、本件質疑前O自ら上京して、東京都千代田区永田町二丁目一0番三号所在東京ヒルトンホテル(当時)一階の飲食店「源氏」ででも、被告人横手と飲食を共にしながら、直接右同趣旨の依頼をするとともに、その場で右現金を供与しようと話し、右会食の日程もIが同被告人と打合せることにした。

4 Iは、H1に電話して、被告人横手に対する紹介方を依頼した後、昭和五七年八月四日午後四時前ころ、議員会館三三八号室の被告人稲村の事務室を訪ねて、H1に会い、同人に伴われて、同会館三三九号室の被告人横手の事務室を訪ね、同室でH1から同被告人を紹介された。折から被告人横手の事務室を使うのは都合が悪い旨同被告人が述べたところ、H1が被告人稲村の事務室を使うことを勧めたので、被告人横手とIは、被告人稲村の事務室で面談を続けることになった。そして、Iは、同室で、被告人横手に対し、本件一般質疑の際本件設備共同廃棄事業の問題を取上げるよう依頼するとともに、本件事業に関する作業の経緯等を説明し、また、買上価格と実施時期について問題があることなどを話し、被告人横手は、これに対し、話は分かったと答えるとともに、今の話を簡単なメモにして翌日もう一度説明してもらいたい旨述べた。また、その際、Iは、前記3のとおりのOの会食の希望について被告人横手に伝え、翌同月五日午後七時から前記「源氏」で夕食を共にする旨同被告人と取決めた。

5 前記4のとおり被告人横手と面談した直後、Iは、再びH1に会い、同被告人の対応が好意的であったと報告するとともに、前記3のOの指示に従い、H1に対し、被告人横手にどの程度の礼を差上げたらよいかと尋ねたところ、H1は、一00万円を表わす趣旨で、右手の人差し指一本を立て、前後に振るようにしながら、「この程度でしょうな。」と言って、右報酬の金額としては一00万円が適当であるとの意見を表明し、Iも、その趣旨を了解した。

6 1は、その後撚糸工連事務所に戻ると、Oに電話して、被告人横手との右面談の状況や「源氏」での会食約束等について報告するとともに、同被告人に対する報酬の金額に関するH1の意見などについても話し、Oもこれを了解して、Iに対し、一00万円の現金を「源氏」での会食の席に持参するよう指示し、ここに、O及びIは、昭和五七年八月五日午後七時ころから前記「源氏」で右両名及び被告人横手が夕食を共にする機会に、同被告人に対し、前記のとおりの報酬として現金一00万円を贈り、もって賄賂を供与する旨の謀議を遂げるに至った。

四  O及びIの被告人横手に対する請託等

1 昭和五七年八月五日、Iは、説明用資料を持参して被告人横手の前記事務室を訪れ、午後三時ころ、同室で被告人横手と面談し、同被告人に対し、過去の設備共同廃棄事業の実施状況、現在の仮より糸製造業の不況の状況、本件設備共同廃棄事業の必要性等についてるる述べたほか、「昭和五七年度の共廃は、代金の支払は一二月末までにし、買上価格は前回並みということを撚糸工連では機関決定もし、O理事長がことあるごとに業界の中で公約している。価格を前回並みに決めてもらい、一二月末までに支払えるよう早期に価格を決めてもらいたいのだが、今日現在その見通しが全く立っていない。事業規模等については了解を得ているが、価格について決まっていない。買上価格は残存簿価の三倍ということが前回から適用されているが、今日現在では残存簿価はゼロに近く、これではどうにもならない。中企庁は大変ガードが堅く、具体的な返事はない。あくまでも残存簿価の三倍とか、そういう原則論のようで困っている。年内支払というようなことを考えると大変心配だ。T6局長自ら動いていただかないと、この価格の問題は解決しないと思う。T6局長の尻をたたいていただきたい。価格は前回並み、実施時期は一二月代金支払を前提に、県の九月補正予算に間に合うように価格を決め、ゴーのサインを出してもらいたいというのが私どもの要望なので、T6局長からその方向で善処するとか、やりたいと思うというような前向きの答弁を引出すように質問してもらいたい。」旨述べ、もって、被告人横手に対し、本件一般質疑の際、本件設備共同廃棄事業に関し、通産大臣や通産省関係部局の幹部、ことにT6生活産業局長に撚糸工連のため有利な質問をしてくれるよう請託した。

2 昭和五七年八月五日午後七時ころ、Iは、前記三6のOとの謀議に基づき現金一00万円入りの封筒を持参して「源氏」に赴いて、被告人横手に会い、遅参したOも午後八時前ころから加わり、三名で会食したが、その際、Oは、同被告人に対し、「明日の商工委員会で仮より機の問題をご質問いただくことになって本当にありがとうございました。仮よりの共同廃棄事業は、撚糸工連として、年内代金支払をするし、価格も前回並みということで機関決定もし、約束もしてきているので、これを実行しないと大変なことになる。九月の補正予算に間に合わないと、今年中にできなくなるおそれがあるので、早く決めて欲しい。買上価格も、原則通り残存簿価の三倍ということでは業者の手取額はほとんどないし、だれも設廃事業に参加しない。是非前回並みの価格で買上げてもらえるようにして欲しい。何とか我々の希望する方向で共同廃棄事業が実施できるように、明日の商工委員会で質問し、T6局長から善処する、業界の考えているような方向で処理するというような前向きの答弁を引出すようお願いします。価格の問題について原紡課ではある程度理解してもらっていると思うが、中企庁の対応が大変きつい。局長自身が積極的に動かないと解決しないと思う。我々の希望する買上価格で今年中に何としてもやってもらうためには、責任者のT6局長から積極的な答弁を引出して約束を取りつけるのが一番と思う。明日の質問では我々撚糸工連やねん糸業者のためによろしくお願いします。」旨述べ、Iも、これと同旨の依頼をし、もって、こもごも、被告人横手に対し、本件一般質疑の際、本件設備共同廃棄事業に関し、通産大臣や通産省関係部局の幹部、ことにT6生活産業局長に撚糸工連のため有利な質問をするよう請託した。

これに対し、被告人横手は、「私も全く同感であり、明日の質問では頑張って皆さんに喜んでもらい、お役に立てれるようにする。T6局長から約束を取りつけるのは難かしいだろうが、粘って質問してみる。」と答え、右請託を受諾した。

なお、後記六1のとおり、右請託の後、O及びIは贈賄の犯行に及び、被告人横手は該賄賂を受領して受託収賄の犯行に及んだ。

五  後記六1の犯行後六2の犯行に至る経緯

1 被告人横手は、その後、「源氏」を出て、東京都港区六本木七丁目一番三号衆議院青山議員宿舎の自己の居室に帰り、同室で、本件一般質疑の際に本件設備共同廃棄事業における買上価格の点や実施時期の点等についてO、Iの前記請託にそう質問をすることができるよう、既に用意されていた本件質疑用の原稿記載の質問項目に修正を施すなどした。

2 昭和五七年八月六日の朝開催された商工委員会理事会で、同日午後一時から被告人横手が一時間にわたって質疑を行うことが正式に決定され、同被告人は、東京都千代田区永田町一丁目七番一号衆議院分館四階第一八委員室で開催された商工委員会で、午後一時五分ころから質疑を行った。

同被告人は、政府委員として同委員会に出席していたT6生活産業局長に対し、本件設備共同廃棄事業を早期に実施すべきであるなどと質問したが、T6が、あらかじめ計画課とも合議の上原紡課が用意した想定問答の趣旨に従い、鋭意検討を続けているなどと答弁したので、この点の質問は打切って他に質問を転じようとした。ところが、その際、出席していた被告人稲村が、「検討ばかりではだめだ。」と大声で発言して、T6に対しさらに具体的な答弁をするよう求めるとともに、被告人横手に対しさらに撚糸工連のため有利な答弁を引出すべく質問の続行を促す趣旨の言動に出たので、被告人横手は、これを受けて、「せっかくのお言葉でございますから、もう一遍そこら辺を確認いたしますが、局長、どうですか。」と述べて、T6に再度答弁を求め、また、本件設備共同廃棄事業の実施時期や買上価格等について、さらに質問を繰返し、よって、前記請託にそう趣旨の撚糸工連に有利な積極的答弁をするよう要求した。一方、T6は、被告人横手から、右のとおり執拗に本件設備共同廃棄事業の実施のため積極的な答弁をするよう求められるとともに、被告人稲村から前記のとおり大声をかけられ、また、同被告人から前記第二・四、後記第四・三2、3のとおり事前に働きかけを受けていたこともあって、当初予定していたよりも撚糸工連のため有利な答弁をしなければならないのではないかと考えるに至り、実施時期について、「当局といたしましては、できるだけ早く実施に移すという方向で鋭意作業をやっている、こういうことでございます。」、「先ほどできるだけ早く実施に移せるように鋭意作業をしているということをご答弁申し上げましたけれども、その意味するところは、県によって九月に補正が行われるということを頭に入れながら作業を進めている、こういう意味でございます。」と答え、買上価格についても、「前回の価格がどうであったかということも頭に入れながらご指摘の点についても十分慎重に検討して参りたいと思っております。」と答え、もって、実施の時期や買上価格について具体的な基準を示す点で、当初予定していた答弁内容より一歩踏込む趣旨の答弁をした。

3 Iは、石川県工組の関係者とともに、本件質疑の状況を傍聴していたが、前記2のとおり被告人横手がT6から撚糸工連のため有利な答弁を引出したことから、本件設備共同廃棄事業の実施時期や買上価格等の懸案もこれで目途がついたと思って喜び、本件質疑後の昭和五七年八月六日夕刻、大阪市にいたOに電話してその旨報告した。Oもまた、Iの右報告を聞いて喜ぶとともに、被告人横手の尽力に感謝し、Iとの間で、同被告人がOらの前記請託にこたえて撚糸工連のため有利な質問をしてくれたことに対する報酬として、さらに一00万円を贈ろうと話し、こうして一00万円の賄賂を追加して供与する旨の謀議を遂げた。その際、Oは、Iに対し、同月一0日上京する機会に右一00万円を被告人横手に供与することとするから、それまでにこの現金を準備しておくようにと指示した。

4 昭和五七年八月一0日午後零時前ころ、O及びIは、現金一00万円を持参して、議員会館内の被告人横手の事務室に赴き、後記六2のとおりの贈賄の犯行に及んだ。

六 罪となるべき事実

被告人横手は、衆議院議員、同院商工委員として前記一4の職務権限を有していたところ、前記四のとおり、昭和五七年八月五日、東京都千代田区永田町二丁目一番二号所在衆議院第二議員会館三三九号室の自己の事務室において撚糸工連専務理事Iから、また同区永田町二丁目一0番三号所在東京ヒルトンホテル(当時)一階所在飲食店「源氏」において右I及び撚糸工連理事長Oから、いずれも、通商産業の基本施策等に関する衆議院商工委員会の国政調査の一環として同月六日同委員会で行われる本件一般質疑で同被告人が同委員として政府に対し質疑するに当たり、過剰仮より機設備共同廃棄事業を所管する通産大臣及び通産省の関係部局の幹部、ことに右事業の実施計画の策定、関係機関との連絡調整等を所掌するT6同省生活産業局長に対し、撚糸工連が昭和五七年度に予定していた本件過剰仮より機設備共同廃棄事業を早期に実施するとともに同事業における仮より機の買上価格を高額に設定するなど、撚糸工連のため有利な取り計らいを求める質問をされたい旨の請託を受け、

1  右請託に基づき撚糸工連のため有利な前記趣旨の質問をする報酬として供与されるものであることを知りながら、同月五日、前記飲食店「源氏」において、前記O及びIの両名から、現金一00万円を収受し、

2  前記五2のとおり右質疑の機会に撚糸工連のため有利な質問をした報酬として供与されるものであることを知りながら、同月一0日、前記衆議院第二議員会館三三九号室の自己の事務室において、右両名から、現金一00万円を収受し、

もって、自己の前記職務に関して賄賂を収受したものである。

第四  被告人稲村の収賄関係の事実

一  被告人稲村の職務権限

1 被告人稲村は、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員総選挙に当選し、昭和五六年一二月二一日同院商工委員に選任され、昭和五八年一一月二八日衆議院が解散されるまでその地位にあった。

2 商工委員会の所管事項、国政調査に関する権限、手続、第九六回国会における商工委員会の国政調査事項決定の経緯、内容等は、前記第三・一2、3のとおりである。

3 被告人稲村は、商工委員会の委員として、前記第三・一4の被告人横手の職務権限と同一の職務権限を有している。

二  本件一般質疑の経緯等

本件一般質疑の経緯等は、前記第三・二のとおりである。

三  被告人稲村の被告人横手及び通産省関係部局幹部に対する働きかけ

被告人稲村は、前記二の被告人横手による本件一般質疑に関して、以下1ないし4のとおり、同被告人及び通産省関係部局の幹部に働きかけたが、これらの働きかけは、被告人稲村の前記一3の職務と密接に関係した行為に当たる。

1 被告人稲村は、前記第三・三1のとおり、昭和五七年八月初めころ議員会館内の廊下で被告人横手と出会った際、同被告人が今度の一般質疑でねん糸の問題について質問する旨話したのに対し、「そうか、うまく頼むで。ねん糸業界は今大変な時期や。撚糸工連から陳情書が出ているように撚糸工連も設廃事業で困っているので、そこらをうまく頼むで。」と話し、被告人横手に対し、本件一般質疑の際に本件設備共同廃棄事業の早期実施を求めるなど右事業に関し撚糸工連のため有利な質問をするよう依頼し、被告人横手も、右依頼の趣旨を了解してこれを引受けた。

2 被告人稲村は、その後の昭和五七年八月四日、近日中に商工委員会で国政調査としての一般質疑が行われることが具体的に予定され、かつ、既に右一般質疑を行う予定の商工委員である被告人横手に前記1のとおりの依頼をしてある状況のもとで、本件設備共同廃棄事業の状況説明のため議員会館三三八号室の自己の事務室を訪ねて来た前記T1に対し、右事業の計画、準備の進捗状況等を説明させた上、「いずれにしろ早くやってやれ。できるだけ高く買ってやれ。中小企業庁にもよく言っておけ。」と話して、本件設備共同廃棄事業を早期に実施するとともに、買上価格を高額に設定するよう要求し、さらに、その際、本件一般質疑に関し、「横手先生の質問の中で仮より機の共同廃棄の問題についても質問されるから、局長にちゃんと答えるように言っておけよ。」と指示した。

T1は、被告人稲村の右指示に従い、同日、T6に対し、「稲村先生から呼ばれて、本件設備共同廃棄事業の作業の進捗状況について報告した。その際、早くやれ、できるだけ高く買ってやれという趣旨の発言があった。八月六日の商工委員会で横手代議士の質問があるけれども前向きに答弁するように局長に伝えておくようにと言われた。」旨報告した。

3 被告人稲村は、昭和五七年八月六日、前記衆議院第一八委員室で被告人横手の本件一般質疑が開始される直前、同室に入って来て、政府委員席に着席していたT6に近づき、「うまく答えてやってくれよ。」と声をかけ、もって、同人に対し、被告人横手の質問に撚糸工連のため有利な答弁をするようしょうようした。

4 被告人稲村は、前記第三・五2のとおり、同日、被告人横手が本件一般質疑で本件設備共同廃棄事業に関しT6に対して質問を行っている途中、T6の答弁に関連して、「検討ばかりではだめだ。」と大声で発言し、もって、T6に対しさらに撚糸工連のため有利な具体的答弁をするよう求めるとともに、被告人横手に対しさらに撚糸工連のため有利な答弁を引出すべく質問の続行を促す趣旨の言動に及んだ。

四  被告人稲村による賄賂の要求等

1 本件一般質疑の状況、これに対するO、Iの評価等は前記第三・五2、3のとおりであるところ、昭和五七年八月下旬、前記のとおり従来原紡課、計画課間で協議が難航していた買上価格についても、必ずしも帳簿上計上されていない改造費をも考慮して簿価を算出することにより、前回並み価格に近い価格を定めることで、両課が同意するなど、本件設備共同廃棄事業の実施及びその概要に関する両課間の合意が成立し、T1はそのころ被告人稲村の前記事務室を訪れて、同被告人に対しその旨報告した。こうして、本件設備共同廃棄事業が同年中に行われることも確実な状況となり、Oも、そのころ、被告人稲村に電話し、同被告人のおかげで年内に設備共同廃棄事業ができるようになった旨述べて謝意を表した。

2 昭和五七年九月中旬ころ、被告人稲村は、Oに電話して、「設廃事業も今年中にできるようになってよかったな。おれも頑張った甲斐があったよ。五00ほど頼めるか。」と述べ、もって、前記三のとおり、被告人横手に対し本件一般質疑で撚糸工連のため有利な質問をするよう依頼し、また、通産省関係部局幹部に対し本件設備共同廃棄事業を撚糸工連のため有利に取り計らうよう働きかけるとともに同被告人の右質問に右同旨の答弁をするようしょうようしたことなど、本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため尽力したことに対する報酬として、現金五00万円を要求し、Oも、被告人稲村の右要求の趣旨を了解し、「先生のおかげですよ。今年中にできるようになってOの面子も立ちます。近くご自宅に持って上がりますから。」と述べて、右要求を承諾し、ここに、同被告人とOの間に、現金五00万円の賄賂を授受する旨の約束が成立した。

3 その数日後の昭和五七年九月中旬ころ、Oが撚糸工連事務所でIに対し被告人稲村の前記要求について話したところ、Iも、前記のとおりの右要求の趣旨を了解して、これに応ずることに賛同した上、五00万円を持参する日時は自分がH1と調整しておく旨述べ、ここに、O及びIの間に、現金五00万円の賄賂を同被告人に供与する旨の謀議が成立した。

4 そして、O及びIは、IがH1と打合せて訪問の日時を取決めた上、昭和五七年九月下旬ころ、現金五00万円を持参して、東京都港区赤坂四丁目一三番八号所在赤坂パレスマンション一0五号室の被告人稲村の居室を訪問した。

五 罪となるべき事実

被告人稲村は、衆議院議員、同院商工委員として前記一3(第三・一4)の職務権限を有していたところ、昭和五七年九月下旬ころ、東京都港区赤坂四丁目一三番八号所在赤坂パレスマンション一0五号室の同被告人方居室において,撚糸工連理事長O及び同専務理事Iから、前記三1及び4のとおり、通商産業の基本施策等に関する衆議院商工委員会の国政調査の一環として同年八月六日同委員会で行われる本件一般質疑で同委員として政府に対し質疑を行うことになっていた被告人横手に対し、撚糸工連が望んでいる昭和五七年度における本件過剰仮より機設備共同廃棄事業を早期に実施するよう右事業を所管する通産大臣及び通産省の関係部局の幹部、ことに右事業の実施計画の策定、関係機関との連絡調整等を所掌するT6同省生活産業局長に求めるなど、撚糸工連のため有利な質問をしてもらいたい旨依頼するとともに、同日商工委員会で右設備共同廃棄事業に関しT6に質問を行っていた被告人横手に対し、さらに撚糸工連のため有利な答弁を引出すべく質問の続行を促す趣旨の発言をし、一方、前記三2ないし4のとおり、右T6ら同省幹部に対し、右事業を早期に実施するとともに同事業における仮より機の買上価格を高額に設定するなど撚糸工連のため有利に取り計らうよう要求し、あるいは横手の右質問に対し撚糸工連に有利な答弁をするようしょうようするなど、撚糸工連のため尽力した報酬として供与されるものであることを知りながら、現金五00万円を収受し、もって、自己の前記職務に関して賄賂を収受したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人らの主張に対する判断)

第一  本件の事実認定について

被告人横手の弁護人は、同被告人がO、Iの両名から判示のとおりの請託を受けたことも、判示合計二00万円の現金を供与されたこともないなどと主張し、被告人稲村の弁護人も、同被告人がO、Iから判示五00万円の現金を供与されたことはない旨主張するなど、被告人両名の弁護人らは、いずれも、被告人らの本件各犯罪の成否にかかわる核心の事実を全面的に争っているので、以下、弁護人らの各主張に即しつつ、本件の事実認定について補足的に説明を加えることとする。

一  本件の直接証拠について

そこで、右検討の前提として、本件各犯罪の認定において直接証拠としての位置を占めるI、O両名の各供述の信用性等について、まず考察を加えることとする。

1 Iの供述

Iは、公判廷で証人として証言し(なお、以下では、公判調書中の供述部分、証人に対する当裁判所の尋問調書中の供述記載を指す場合も、[当]公判廷における供述ないし証言[証人の供述の場合]という。)、撚糸工連の専務理事として、O理事長の指示を受けつつ、本件設備共同廃棄事業の準備、実施等のため様々な事務を執り行い、生活産業局、原紡課関係者に対しても種々の接触、働きかけを行ったこと、被告人稲村に対しても、主として秘書のH1を介し、時には直接接触して、右事業の実施等に関する助力方を要請したこと、本件設備共同廃棄事業を、撚糸工連の希望するように、昭和五七年中実施(代金支払)、買上価格は前回並みという方向で実施できるか、危惧していたこと、本件一般質疑当時もこの点についての原紡課、計画課間の交渉が難航していると認識していたこと、昭和五七年八月三日ころ、H1から、被告人横手が本件一般質疑を行うことを知らされ、その際本件設備共同廃棄事業の件も質問してもらうようにしたらどうか等の連絡があり、判示の経緯で、本件一般質疑の際本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な質問をするよう被告人横手に請託するとともに、右のとおりの質問をしてくれることに対する報酬として現金一00万円を同被告人に供与する旨、Oと謀議を遂げたこと、同月五日、被告人横手の事務室において単独で、及び判示「源氏」においてOと二人で、いずれも同被告人に対し右の趣旨の請託をしたこと、右「源氏」においてその際被告人横手に対し右報酬の趣旨で現金一00万円を供与したこと、本件一般質問におけるT6の答弁により、本件設備共同廃棄事業の買上価格や実施時期の点についても目途がついたと思い、右質疑終了後の同月六日夕刻、被告人横手に対し右請託に基づいて質問してくれたことに対する報酬としてさらに現金一00万円を供与する旨の謀議をOと遂げ、同月一0日、同被告人の事務室にOと二人で赴いてこれを供与したこと、同年九月初旬か中旬ころ、被告人稲村から五00万円の要求があった旨Oから聞き、その準備方を指示されて引受けたこと、この金は判示第四・四2のとおりの報酬の趣旨で要求されているものと了解したこと、同月下旬ころ、被告人稲村の居室をOと訪問して右の現金五00万円を同被告人に供与したこと、前記のとおり被告人横手に供与した現金合計二00万円及び被告人稲村に供与した現金五00万円は、いずれも、自分が当時保管、管理していた撚糸工連の裏金の中から出捐したこと等判示認定にそう各事実を供述している。

しかるところ、Iの右証言は、(個々の事項については後に個別的に検討するが、)全体として極めて詳細、具体的で、内容も合理的で自然であり、他の関係各証拠ともよく符合し、多方面にわたる詳細な反対尋問にもよく耐えていると認められ、その率直な供述の仕方等にも照らし、その信用性には全体として高度なものがあることを優に肯認することができる。

2 Oの供述

Oの検察官に対する昭和六一年四月二一日付け、同月二0日付け(一0項)、同月二八日付け各供述調書(以下、検察官に対する供述調書を検面調書と略称する。)には、撚糸工連の理事長として、本件設備共同廃棄事業の準備、実施の各作業を執り行い、そのため、T6生活産業局長等通産省関係者にも働きかけたこと、また被告人稲村に対しては、昭和五七年三月末のT6局長への陳情の直後ころから、本件についての助力方を依頼したこと、本件一般質疑当時は、本件設備共同廃棄事業を、撚糸工連の希望するように、買上価格を前回並みとし、その支払時期(実施時期)を同年中とするという方向で実現できるか、あと一押しという状況であると認識していたこと、同年八月三日と思うが、Iから、H1が被告人横手の本件一般質疑の予定を知らせてくれ、その際本件設備共同廃棄事業についても質問してもらうよう頼んでみてはどうかと勧めてきてくれた等の連絡があり、判示の経緯で、本件一般質疑の際本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な質問をするよう同被告人に請託するとともに、右のとおりの質問をしてくれることに対する報酬として現金一00万円を同被告人に供与する旨Iと謀議を遂げたこと、同月五日Iから被告人横手に会って右の趣旨の請託をした旨報告を受けた後、同日夜判示「源氏」においてIと二人で同被告人に会い、さらに同趣旨の請託をしたこと、右「源氏」においてその際被告人横手に対し右報酬の趣旨で現金一00万円を供与したこと、本件一般質疑後の同月六日か七日、被告人横手の質問が大成功であったなどとIから電話で報告を受け、同被告人に対し右請託に基づいて質問してくれたことに対する報酬としてさらに現金一00万円を供与する旨の謀議をIと遂げ、同月一0日、同被告人の事務室にIと二人で赴いてこれを供与したこと、同年九月中旬ころ、被告人稲村から電話で五00万円の要求があり、これが判示第四・四2のとおりの報酬の趣旨で要求されているものと了解した上、その供与を約束したこと、そのころ、Iに対してもその旨を伝え、右現金五00万円の供与につき同人と謀議を遂げた上、同月下旬ころ、被告人稲村の居室をIと二人で訪問して、これを同被告人に供与したこと等判示認定にそう各事実に関する供述が記載されている。

これに対して、Oは、公判廷で証人として証言した際には、被告人両名に対する右各現金の供与はいずれも記憶になく、そのようなことはなかったと思う旨述べるなど、検面調書記載供述と大幅に相反する供述をするに至っている。

ところで、関係証拠によると、Oは、昭和六一年二月一三日本件設備共同廃棄事業の実施過程で事業団から高度化資金の融資名下に金員を騙取したとの詐欺の被疑事実により逮捕されて引続き勾留され、同年三月六日右の事実につき起訴されるとともに、同日撚糸工連にかかる業務上横領の被疑事実で逮捕されて、同月二七日右事実により起訴され、その前日である同月二六日には通産省事務官に対する贈賄の被疑事実によりさらに逮捕されて、同年四月一六日右事実により起訴されたところ、Oは、かかる身柄拘束中に、本件被告人両名に対する贈賄の関係についても検察官の取調べを受け(ただし、Oに関しては、本件については公訴時効が完成していた。)、前記各検面調書を作成されるに至ったことが明らかであるが、本件に関するOの取調検察官であった証人田中森一の証言に、取調状況に関するO自身の証言の内容や右各検面調書の内容自体等を併せて検討するに、本件の取調べの方法や右各検面調書の作成過程等に格別不当とされるべきところはなかったと認めることができる。

なお、Oは、公判廷において、自己の認識、記憶に反する検面調書が作成され、自分がこれを承認して署名指印した理由として、取調べの際には、取調検察官から関係者、ことにIの供述内容を告げられて追及され、これを受入れざるを得ない状況に追込まれたとの趣旨の証言をし、被告人両名の弁護人もこれと同旨の主張をするが、取調状況に関するOの証言は変遷が目立つ上、不自然な点も多々包含しているのであって、それ自体信用性が疑わしく、特に取調検察官にIの供述を押しつけられ迎合してこれを受入れたとの趣旨の右証言部分は、右検面調書記載事項の重要性、Oの判示第二・一4のとおりの経歴や被告人両名との関係、ことに被告人稲村との平素の密接な関係等に鑑み、さらに、前記証人田中森一が、Iの供述を告げてOの取調べを行ったことはなく、Oの自発的供述を調書に録取した旨明確に証言し、その証言は十分信用に値すると認められること、Oの検面調書記載供述には、Iの供述と異なる部分も見受けられるなど、その内容自体OがIの供述を押しつけられて供述したものではないことをうかがわせるところがあること等の諸点をも併せ勘案するに、これを信用することができず、従って被告人両名の弁護人の右主張も採用することはできないというべきである。

被告人稲村の弁護人は、さらに、Oが、公判廷で、本件に関する取調中検察官からI作成にかかるメモのようなものを示された旨供述していることを援用して、Oの検面調書記載供述の任意性等を論難するが、右メモなるものを示された旨のOの証言自体極めてあいまいである上、かかるメモをOに示したことを否定する前記証人田中森一の証言にも照らし、右Oの証言はこれを措信することができないと認められるから、右弁護人の主張も理由がないというべく、また、同被告人の弁護人が、やはりOの証言を援用して、同人の昭和六一年四月二八日付け検面調書についてはその作成に当たり(Oの)面前(での検察官の検察事務官に対する)口授が行われなかった旨主張している点についてみても、右Oの証言自体、その全体を通観すると、必ずしも右弁護人の主張にそう趣旨を供述しているとは認め難いのであり、また、この点を否定する前記田中の証言にも照らし、右所論は採用に値しないというべきである。その他、被告人稲村の弁護人は、種々の理由を挙げて、Oの検面調書記載供述の任意性等を争う主張をするが、前記田中の証言等の関係証拠に照らし、また、右主張にそうかの如きOの証言自体概して不自然であってたやすく信用し得ないことにも鑑み、右所論はいずれも採用することができない。

付言するに、被告人横手の弁護人は、Oは前記詐欺、業務上横領、贈賄の事件の控訴審(東京高等裁判所昭和六二年(う)第一七0号事件)で一部無罪の判決を受けているところ、このことは、Oの検面調書が、同人の記憶はないにもかかわらず、誘導と押しつけによりIの供述に符合するようにして作成されたことを示しているとの趣旨の主張をしているが、関係証拠によると、Oは平成元年四月一四日東京高等裁判所で前記通産事務官に対する贈賄の訴因の一部については証明がない旨の判決を受けたが、右の判決は、前記各検面調書の内容とは全く関係がない、本件とは別個の事件にかかるものである上、Oの捜査段階における供述の信用性等について特段の判断を加えているものでもないことが明らかであるから、本件におけるOの前記検面調書の作成過程等を検討するに当たり、格別の関連をもたないことが明らかであり、従って、被告人横手の弁護人の右主張も理由がない。

そこで、以上を前提として検討するに、Oの前記各検面調書記載供述は、前記のとおりその作成過程等にも特段問題とされる点がなかったと認められるのみならず(個々の事項については後に個別に検討するが)、全体として極めて詳細、具体的で、内容も合理的で自然であり、前記1のとおり信用性が高いと認められるIの証言を含む関係証拠とも概ねよく符合していると認めることができる。これに対し、Oは、前記のとおり、公判廷では、多くの重要部分について、右検面調書記載供述と相反する証言をしているのであるが、その証言中検面調書記載供述と異なる部分は、概して不自然、不合理で、Iの証言等関係証拠とも明らかに矛盾するところが多い上、それ自体、回避的な供述態度を顕著に表わしており、右検面調書記載供述と比較して、その信用性は一般に著しく低いと認めるほかはない。

結局、Oの前記各検面調書記載供述は、その任意性に疑いをいれる余地がなく、特信性も十分肯認されるのみならず、その信用性には一般的に高度なものがあると認められる反面、これと相反するOの証言部分は、その信用性が概して低いことが明らかというべきである。

二  本件設備共同廃棄事業の進捗状況について

被告人横手の弁護人は、本件設備共同廃棄事業の計画、準備の進捗状況に関し、「撚糸工連は、当局との折衝の過程で、買上価格の前回並み設定、昭和五七年内破砕と買上代金支払等かねての要望の方向で実施されるとの十分な感触を得ていたものと推測され、昭和五七年七月末ころないし本件一般質疑当時関係部課における意見調整が難航していたとか、同事業の実施時期について全く目途が立たなかったということはない。」旨主張し、被告人稲村の弁護人も、「仮より共廃事業の経緯を通観すれば、行政庁との折衝にありがちな資料提出の遅れや、両課(原紡課、計画課)の見解の不一致などが発生したことは見受けられるが、(I証言が表現するほどの)障害が起こり難航したとみることはできない。」旨主張する。

1 しかしながら、前掲関係各証拠によると、本件設備共同廃棄事業の計画、準備等の経過について、判示第二・二3の事実認定にそう以下のとおりの事実を認めることができる。

(一) 撚糸工連は、本件設備共同廃棄事業の実施を予定して、仮より機買上げの希望調査をしたりした上、昭和五六年一一月の理事会でOが右事業の実施方を正式に表明し、理事会の承認を得た。

(二) 撚糸工連では、本件設備共同廃棄事業を昭和五七年末までに代金を業者に支払えるようにして実施し、また買上価格は前回の昭和五三年度設備共同廃棄事業における価格並みとする旨の方針を定め、部内関係者等に対してもOらがその旨を表明していた。

(1) しかるところ、右実施時期の点については、判示第二・二2のような本件事業の性格上、関係府県が事業団への貸付のための予算措置を講ずる必要があり、遅くともその九月補正予算の編成に間に合わせる必要があった。そのため、昭和五七年一月に撚糸工連の常務理事が作成した本件設備共同廃棄事業の計画策定メモでは同年五月下旬に指導会議開催を設定するなど、撚糸工連では本件事業の計画、準備のすみやかな進捗を特に希望していた。

(2) 買上価格については、判示第二・二3の中企庁長官通達との関係で判示のとおりの問題があり、当初、撚糸工連側が原紡課担当者に右通達の改正方を働きかけたが、原紡課側に受入れられなかったことなどもあり、右通達との関係が買上価格決定上の大きな懸案となっていた。

(三) 昭和五七年三月末ころ、O、Iら撚糸工連幹部はT6生活産業局長に会い、本件設備共同廃棄事業の実施について陳情したが、T6は本件事業の実施について特に積極的な姿勢は示さなかった。

(四) その後、原紡課では、撚糸工連と種々調整した上、昭和五七年六月ころには本件事業実施の方針を固め、計画課担当者への非公式の打診をした後、同年七月初め、計画課との正式の協議を始め、同月一二日ころには、T2原紡課総括班長らが計画課を訪ねて、同課のT7総括班長らと折衝した。そのころ、撚糸工連は、前記(二)の方針に基づき、昭和六0年度の予想過剰率を約二四.四パーセントとし、約三八0台(六万八五五三錘)を廃棄して廃棄後の過剰率を約一0パーセントとすること、昭和五七年中に代金を支払えるようにするため関係府県の九月補正予算に間に合わせること、買上価格は再調達価格の二分の一とし少なくとも前回価格並みとすること等の要望内容を固め、原紡課も計画課に対しこれと同旨の方針を提示していた。

(五) しかしながら、計画課では、右交渉の当初から、買上価格についてはあくまでも右通達の原則に従い残存簿価の三倍を基準にすべきであるのみならず、そもそも、本件設備共同廃棄事業が高度化資金を融資して行われる仮より機の廃棄事業として既に三回目であること等にも照らし、また右の程度の事業規模、予想過剰率等にも鑑みると、本件設備共同廃棄事業の構造改善事業としての必要性、適格性に疑問があるとの立場をとり、従って、原紡課、計画課の交渉は当初から難航した。前記(四)のT2らとT7らとの折衝の際にも歩み寄りはみられず、そのため、両課としては、買上価格等の問題はひとまずおいて、廃棄規模の問題等本件事業の実施の可否に直接かかわる事項についてまず協議を遂げることにし、昭和五七年七月二四日ころには、T1原紡課長とT4計画課長とがこの点について直接折衝した。

(六) 昭和五七年七月下旬ころ、計画課では、本件事業を実施するためには過剰率が三0パーセント以上あり、廃棄率を二0パーセント以上として、(事業後の)残存過剰率を一0パーセント以内とすることが必要であり、右条件が充足されれば本件事業の実施自体には同意するとの方針を固めて、これを原紡課に伝えたところ、原紡課も、撚糸工連の意向を打診した上これを受入れ、そこで、両課はさらに協議した結果、同月二九日ころ、昭和六0年度の予想過剰率を三0パーセントとし、本件事業により五九0台(一0万六二00錘)を廃棄して(廃棄率二二.三パーセント)、事業後の過剰率を九.九パーセントとするという内容で本件事業を行う旨の合意に達した。

(七) しかしながら、前記(六)の合意によっても、前記のとおり最大の懸案の一つであった買上価格の点等は、両課の今後の協議に委ねられていたのであり、前記(五)のとおりの計画課側の当初からの態度にも照らし、この点の協議はなお難航することが予想された上、撚糸工連が希望するように昭和五七年内に買上代金を支払えるよう作業を進行させられるかも、右協議のいかん等にかかっていたのであって、この点も依然微妙な状況にあった。

(八) こうして、昭和五七年八月初めころから買上価格に関する原紡課、計画課間の協議が始まり、同月九日ころには、T2らが計画課を訪れて折衝したが、原紡課では、そのころまでに、撚糸工連との検討の過程等を経て、必ずしも帳簿に計上されていない改造費をも簿価に加算したいわゆる推定簿価方式を主張する旨の方針を固め、これに基づいて計画課との協議に臨んだところ、計画課も、その後課内での検討を進め、基本的にこれを受入れることとなり、同月下旬、右の価格の点等についても両課の合意が成立し、買上価格はほぼ前回並みに設定されることとされ、また同年内に事業を実施して年内に代金を支払うことも可能な見込みとなった。

(九) その後、撚糸工連が、原紡課の指導を受けつつ、前記原紡課、計画課の合意にそって、事業計画(案)等を作成し(なお、廃棄台数は五九三台とされた。)、昭和五七年九月一八日の臨時総会でこれを承認するなどした後、同年一0月六日開催された指導会議でこれが確定された。そして、所要の手続を経て本件事業が現に実施されたが、昭和五七年度中に計画全部を達成できなかったため、当初の事業計画を修正した上、昭和五七、五八両年度にわたって本件事業が実施された。

2 そして、この点について、Iは、公判廷で、昭和五七年六月ころには、作業の進捗にお先真っ暗という感じの焦慮感をもち、同年七月末における原紡課、計画課の廃棄規模等に関する合意により、五、六割位までは作業が進んだかという感じをもったが、そのころも特に買上価格の点は何の進展もないという感じで、実施時期も目途がついていなかったとの趣旨を証言しているところ、Iの右証言は、前記1のとおりの本件設備共同廃棄事業の計画、準備の進捗状況等に鑑みるとき、撚糸工連の専務理事として本件設備共同廃棄事業に関する事務全般を所掌した者の認識ないし感想としてまことに自然なものと評することができ、十分信用することができる。また、Oの検面調書記載供述にも、この点Iの右証言とほぼ同旨のOの認識、感想が表現されているのであるが、右供述も、撚糸工連の理事長として本件設備共同廃棄事業の実施のため最高の責任を負うべき位置にあったOの立場にも照らし、これまた十分信用に値する。これに反し、Oの公判廷での証言中には、同月末における原紡課、計画課の合意により、買上価格等も撚糸工連の希望する方向で自ずから決まるであろうという認識であったとの趣旨を述べていると解される部分もあるが、前述したところにも照らし、右供述部分はこれを信用することができない。

3 次に、特に、被告人横手の弁護人が前記所論の理由として主張するところについて検討してみる。

(一) 被告人横手の弁護人は、昭和五七年一月一三日開催の撚糸工連第九期第三回正副理事長会議や同年二月一0日の福井市内での記者会見におけるT1の各発言を根拠として、原紡課は昭和五七年初めの時期に既に撚糸工連の希望にそうよう本件設備共同廃棄事業に前向きに取組んでいくとの方針を固め、中企庁(計画課)とも接触をもって、同年内の実施を了解していた旨主張する。

しかし、まず、右撚糸工連第九期第三回正副理事長会議におけるT1の発言は、右会議の議事録(昭和六一年押第一0七二号の59)、T1の証言等によると、撚糸工連で計画中の本件設備共同廃棄事業に好意的な姿勢を示すものであるとはいえるものの、格別右弁護人主張のように、この段階では既に原紡課として本件設備共同廃棄事業を実施することを認める旨の方針を表明しているというほどのものではないことが明らかである。また、同年二月一0日の記者会見におけるT1発言に関する右弁護人の主張は日刊繊維情報の同月一一日付け記事(弁23)を根拠とするものであるところ、右記事には、なるほど一見所論にそうかの如き記載はあるが、そもそも右記事は、被告人横手の弁護人が右記事の存在に関する証拠物(非供述証拠)として証拠請求し、かかる証拠として採用されたものであるに過ぎないのみならず、右弁護人は当の発言者自身であるT1の証人尋問の際には右記者会見について何らの尋問をしていないのであって、右記事の内容を真実のものとして直ちに本件の事実認定の資料とすることは本来慎まなければならないというべきところ、仮にこの点をひとまずおいて考察しても、右T1自身の証言を含む関係証拠によると、T1の発言内容に関する右記事の正確性は極めて疑わしく、信用に値しないというほかはない(右記事内容に相応する話を日刊繊維情報の記者から聞いた旨を述べる証人Bの証言も、同様信用することができない。)。

従って、被告人横手の弁護人の右主張は理由がない。

(二)被告人横手の弁護人は、「昭和五七年七月二九日ころ原紡課、計画課の両課長の合意により廃棄規模を五九0台とすること等が決定され、当時並行して交渉が進められていた買上価格の設定についても、既に決定された五九0台の目標台数を達成するため、事業参加者が要望する前回並みの価格で取決めることが当然必要なこととして論議がかわされていたはずであり、右廃棄台数が決定された後も引続き、撚糸工連が要望していた前回並み価格を一応の目途として、前向きに協議が進行していた。」、「計画課としても、通達の建前に従い、一応原則論を固執したものの、抜本的な構造改善の実効をあげるためには通達の解釈に政策的配慮が加えられることに十分配慮していた。」などとも主張するが、右主張が、計画課との交渉にあたる原紡課側の考え方にとどまらず、計画課側としても、買上価格を撚糸工連の希望するよう前回並みに設定することを容認する見通しないし心積りのもとに、原紡課との交渉に臨み、特に五九0台の廃棄台数を達成するためには価格を前回並みに設定することが必要であると予期していたとの趣旨を含むのであれば、これは、T4、T7、T5ら計画課側関係者の供述(公判廷供述ないし検面調書記載供述)を初めとする関係証拠に明らかに矛盾する、根拠のない主張であり、従って、理由がないことが明らかである。

(三) 被告人横手の弁護人は、福井県における本件設備共同廃棄事業の作業の進捗状況を例にとり、これを右事業の進捗状況には懸念すべきところがなかった旨の所論の一つの根拠として主張するが、関係証拠によると、福井県工組では、撚糸工連の指導を受けつつ、昭和五七年一月から買上げの仮申込を受付けたり、同年七月下旬からは、買上希望者と契約書を取交わし、その者から保証金を徴収するなどの作業を続け、また、福井県でも、撚糸工連や福井県工組の要請等を受けて、商工労働部繊維課が同年七月既に本件設備共同廃棄事業関係の予算を九月補正予算に計上するよう要求し、総務部長査定段階までは認められなかったものの、知事査定で復活し、結局九月補正予算に本件関係の予算(ただし、本件設備共同廃棄事業の廃棄規模全体を三八0台とし、そのうちの福井県一一0台分にかかるもの。)が計上されたこと等の事実は認められるが、関係証拠、ことに前記I、N(当時福井県工組専務理事)、F(当時福井県商工労働部繊維課長)の各証言等によると、福井県工組の前記各作業は、撚糸工連の希望にかかる実施時期の切迫の関係もあり、本件設備共同廃棄事業の買上価格が前回並みに決まること等を一応予測して、とりあえず準備を進めていたというに過ぎず、また、県の右予算措置も、福井県における仮より糸製造の重要性等にも鑑み、福井県の担当者が、やはり本件設備共同廃棄事業が同年に実施されること等を予測し、かかる判断のもとに右措置を講じたものと認められるのであるから、以上のような事実の存在はそれ自体、格別右弁護人主張の根拠となる筋合にはないというべきである。かえって、産地において、買上価格が前回並みに決まること等を予測して以上のような準備作業を続け、本件事業に対するいわば期待感を募らせていたこと自体、O、Iにとっては、前記1のような通産省内部における折衝の難航との関係で、より一層危機感を抱かせる一因となっていたということすらできるのである。

以上検討のとおりであって、被告人横手の弁護人が本件設備共同廃棄事業の進捗状況に関する前記所論の理由として主張するところは、いずれも理由がないことが明らかである。

4 結局、本件設備共同廃棄事業の計画、準備の進捗状況ないしこれに関するO、Iの認識については、判示第二・二3、4のとおりの各事実を認定し得ることが明らかであって、撚糸工連は本件一般質疑当時買上価格の前回並み設定、昭和五七年内破砕と代金支払等、かねての要望の方向で本件設備共同廃棄事業が実施されるとの十分な感触を得ていた旨の被告人横手の弁護人の前記主張及び被告人稲村の弁護人のこれと同旨の前記主張はいずれも理由がないというべきである。

三  判示第三・三2ないし6の贈賄の謀議等について

1 被告人横手の弁護人は、判示第三・三2ないし6の贈賄の謀議等に関する判示認定事実をほぼ全面的に否定する趣旨の主張をしている。

2 しかしながら、この点について、Iは、公判廷で、「昭和五七年八月三日ころ、H1から電話があり、『八月六日の商工委員会で横手先生が合繊の不況問題で質問する。専務さんのところで懸案になっている仮よりの問題を併せて質問してもらってはどうか。』との話があった。従来稲村先生にお願いしてあったわけだから、当然それなりの根回しがあった上での話であろうとは思ったが、野党の先生に質問してもらうということはちょっと私の常識になかったので、やはり驚いたというか、あらっという感じはした。しかし、八月という時期を考えると、やはり商工委員会で質問してもらい、T6から言質なり約束を取ってもらうというのはいいことだと思った。そこで、直ちに、撚糸工連事務所から小松のO合繊工業株式会社本社にいたOに電話で、H1の右連絡内容を伝えたところ、Oは、『それはいいことじゃないか。すぐ頼め。』と答え、また、さすがは稲村先生だな、というようなことも言っていた。その際、Oとの間で、商工委員会での質問をお願いする以上、やはり横手先生にお礼をしておこうという話になり、金額については私がH1と相談してみることになった。また、O自ら横手にあいさつしお礼も直接差し上げるのが礼儀だと思い、Oに上京可能な日程を確認したところ、八月五日の夜なら上京できるということだった。なお、その際にはヒルトンホテルの『源氏』を利用しようと話した。八月四日、議員会館の稲村事務室にH1を訪ね、午後四時ころ、同人に伴われて、横手の事務室に赴き、横手を紹介してもらった。横手の方では、何か来客があるとかだれかを呼んでいるということだったところ、H1が、うちは今稲村がいないからうちの部屋を使って下さいと言ってくれたので、稲村事務室に移り、横手と二人で判示第三・三4のような話をした(注。当初、Iは、質疑の内容なり項目について被告人横手にお願いした最初は八月四日同被告人の事務室においてだったと証言したこともあるが、その証言全体の趣旨は、右のとおり、同月四日には、被告人横手の事務室から場所を移動して、被告人稲村の事務室で依頼をしたというところにあると解される。)。話が終わって横手が帰った後、H1に対し、横手にどの程度お礼をしたらよいかと尋ねたところ、H1は、右手人差し指を一本立て、前後に振るようにしながら、『この程度でしょうな。』と言ったので、私は、H1がお礼として一00万円が適当であると教えてくれたものと理解した。撚糸工連事務所に帰ってから、電話で、その日の横手との面談の状況や右のとおりH1からお礼の金額を教えられたこと等をOに報告し、Oから五日に一00万円用意するよう指示された。」旨証言しているところ、Iの証言の信用性が一般的に高いことは既に説示したとおりであるのみならず、右証言部分も、詳細、具体的で、内容が合理的で自然であり、他の関係証拠ともよく符合し、その信用性は高いと認められる。

被告人横手の弁護人は、Iの右証言が不自然であるとして、種々の主張をしているが、まず、Iが被告人横手に対する報酬の金額をH1に尋ねたということ自体不自然である旨の主張部分は、Iが、「商工委員会での質問に関し、しかも野党の国会議員に対してお礼を差し上げるというのは初めてであったし、また、横手に本件のお願いをすること自体稲村が根回ししてくれたことと理解したから、横手に対し礼を失するようなことがあると稲村の顔に泥を塗ることになると思い、従ってH1と相談してみるのがよいと思った。」旨証言しているところ、その供述内容はIの当時の立場にも鑑み、まことに自然なものと評することができるから、これを不自然とする被告人横手の弁護人の右主張は理由がないことが明らかである上、被告人横手に会う前にあらかじめ「源氏」で会う日程の予定をOに確認したり、お礼を差し上げる話をOとしたりした旨の証言が不自然であるとの主張部分も、Oの証言の全趣旨に照らし、右の証言部分が不自然であるとは考えられないから、これまた理由がないというべきである。また、被告人横手の弁護人は、H1の検面調書記載供述内容を引用し、「H1としては、被告人稲村の通産省当局に対する働きかけの効果を十分期待していて、わざわざ撚糸工連側に連絡して被告人横手の一般質疑で本件設備共同廃棄事業を取上げるように依頼することを進言するという発想は全く考えられないことであり、この点からもI証言は全く信用できない。」とも主張するが、右弁護人の引用にかかる検面調書自体に、被告人横手の一般質疑の予定を知って、Iにその旨連絡してやり、同被告人をIに紹介した旨のH1の供述が録取されていることからも明らかなように、右弁護人の主張は、H1の検面調書記載供述の趣旨に関する誤まった理解に立脚するものであるというほかはなく、採用に値しない。さらに、被告人横手の弁護人は、同被告人が被告人稲村の事務室を借りてIと応対するなどということはあり得ないから、Iの右証言は信用できないとも主張するが、本件各証拠に照らし、またIの供述する同人が被告人横手に紹介されるに至った経緯等を勘案するに、右弁護人主張の立論の前提自体根拠がないと認められる。

3 しかるところ、この点については、Oの検面調書にも、「昭和五七年八月三日と思うが、小松のO合繊にいる私のところにIが電話で、『横手先生が八月六日の商工委員会で繊維の不況問題について質問するそうだ。稲村先生の秘書のH1さんがわざわざ連絡して、是非横手先生に会って今問題になっている設廃事業について質問してもらうように頼んだらどうかと言ってきてくれた。』などと知らせてきた。私は、横手とは繊維業界の色々な会合で顔を合わせたときにあいさつをかわす程度だったが、これはいい機会だと思うとともに、それまで稲村に色々と設廃事業についてお願いしてきていたので、稲村が横手の質問を知り、わざわざH1を通じてIに連絡してくれたのだと思い、Iに、いい機会だからとにかく横手先生にお願いしよう、常々稲村先生やH1さんに頼んでおいてよかった、などと話した。その際、横手にあらかじめお礼を差上げようという話をIとし、金額についてはIがH1に聞いてみることになった。また、私自身事前にヒルトンホテルででも横手に会ってお願いして欲しい旨Iから言われたので、その旨了解して、横手と日程を調整するよう指示した。たしか八月四日の夜だったと思うが、神戸の自宅の方にIから電話があり、横手に会ったこと、H1に聞いたらお礼は一00万円でいいだろうと言われたこと、翌日(五日)午後七時にヒルトンホテルの『源氏』で横手と夕食をすることになったこと等の報告があったので、その旨了解し、一00万円を準備しておくようIに指示した。」旨の供述が記載されているところ、Oの検面調書記載供述の信用性が全体として高いことは既に説示したとおりであるのみならず、右の供述部分もまた、詳細、具体的で、内容も合理的で自然であり、前記2のとおり信用性が高いと認められるIの証言を含む関係各証拠とも概ねよく符合し、その信用性は高いと認められる。

これに対し、Oは、公判廷では、被告人横手に対する金員供与の相談をIにしたことを否定するなど、右検面調書記載供述と大幅に相反する証言をしているのであるが、右証言部分は、それ自体不自然、不合理な点を多々包含し、また、例えば、Oが被告人横手の一般質問を知った経緯として、同年七月下旬福井県のねん糸関係業者であるP、Q、Rのいずれかから同被告人の質疑に関する電話連絡を受けていたので、Iから同被告人の質疑に関する電話連絡があった際、そのことは既に承知していた旨を述べる証言部分は、Oが右のとおり指称している者に当たることが明らかなP、Q、Rの各証言に照らして虚偽であると認められるなど、他の関係証拠と齟齬矛盾しているところも多く、たやすく信用することができない。

4 また、H1の検面調書記載供述は、内容に若干変化はあるが、要約すると、「昭和五七年八月六日の数日前ころ、議員会館内の横手の事務室か廊下か便所で、横手から商工委員会で繊維不況について質問すると聞いたのではないかと思うが、あるいは商工委員会委員部で職員から聞いたのかもしれない。八月六日の二、三日前ころ、稲村にそのことを話したという気がする。稲村は、『業界は今不況だし、おれからも横手さんに、いいことじゃないか、よろしく頼むよ、と言っておいたよ。』とか、『おれの方からも横手さんにしっかり言っておいたよ。』とかいうことを言っていたと思う。稲村に、その場で、I専務に教えといてやる、と話したと思う。Iに電話して、『民社党の福井の横手先生が繊維に関して次の商工委員会で質問されるようだ。あなた方が望んでいたことを質問されるんじゃないか。』というように伝えたと思う。あなた方が望んでいたこととは、本件設備共同廃棄事業のことを指す。Iは、Oらトップと相談した上で私に電話してき、是非紹介して下さいと言ってきた気がする。そして、私がIを横手の事務室に連れていって紹介した後、Iが稲村の事務室に戻ってきて、『お礼はどうしたらいいでしょうか。』と尋ねたと思う。若干のやりとりの後、私は、一00万円を表わす意味で、右人差し指を立て、『せいぜいこんなもんじゃないですか。』と答えたように思う。」というものであるところ、右の供述は、全体として断定的表現を避け、また、例えば、H1が被告人横手の本件一般質疑を知るに至った経緯等に関しては、その記憶に明瞭でないところがあること等をうかがわせるものではあるが、なお、その内容は、十分具体的で合理的であり、特にIの証言、Oの検面調書記載供述等他の関係証拠とも概ねよく合致し、十分信用に値するものといえる。

これに反し、H1は、公判廷では大幅にこれと相反する証言をし、ことに、「八月初めころ、Oが電話で、『今地元に来ているのだが、八月六日に横手先生が撚糸工連の買上げの問題について商工委員会で質問されるようだ。本当に質問するのか、もし質問するのなら業界で把握している資料をお届けしたいがどうか、その二つを聞いて、Ⅰ専務にその返事をしてくれ。』と連絡してきた。また、Iに対しては、私が横手の質問を知ったのは、Oから聞いたのではなく、私が自分の何かでキャッチして、撚糸工連にご注進してきたように話して欲しい、ということだった。すぐ横手の事務室に電話で確認をとった上、Iに電話で知らせたが、その際Iに対しては情報源がOであることも話しておいた。Iに連絡することについては、稲村の了解はとらなかった。」、「Iを横手に紹介した後、再び稲村事務室に来たIからこういう場合どういうふうにしてお礼を表わしたらいいだろうか、という趣旨の質問があった。それについての明快な答えはしないで、政治献金については一00万以下だと献金者の名前はのらないが、一00万一円から献金者の名前がのるというような一般の話をしたと思う。記憶にはないが、無意識のうちに一00万といえば指一本だから、人差し指を上げたかもしれない。」などと証言しているのであるが、右証言は、それ自体不自然、不合理な点を包含しているのみならず、I、Oの各証言、Oの検面調書記載供述等関係証拠とも矛盾するところが多く、また、H1が検面調書記載供述と異なる供述をするに至った理由として公判廷で述べるところもまた不自然であるというほかない(なお、H1は、検面調書記載供述が捜査当時における自己の記憶に基づいて述べられたものであることは、公判廷でもこれを認める趣旨の供述をしている。)のであって、結局、前記証言はこれを信用することができない。

なお、被告人稲村の弁護人は、H1の証言に立脚して、同人はIに対し被告人横手の本件一般質疑について連絡するに当たり、被告人稲村の了解、指示を受けたものではない旨主張するが、同被告人に話した上でⅠに対して右の連絡をしたとの趣旨を述べるの昭和六一年四月三0日付け検面調査(抄本)記載供述によると、右供述にかかるとおりに事実を優に認定することができるから、右主張は理由がないことが明らかである。

5 そうすると、関係各証拠、ことに以上検討のとおり信用性が高いと認められるIの証言、O、H1の各検面調書により、判示第三・三2ないし6の各事実を優に認定し得ることが明らかであるから、この点を争う被告人横手の弁護人の主張は理由がないというべきである。

付言するに、被告人横手の弁護人は、「昭和五七年八月四日、Iは午前一一時五0分と午後三時五五分の二回議員会館の被告人稲村の事務所を訪れているのであるが、同日午前中に被告人稲村の事務所を訪ねたのは、前日である同月三日に被告人横手からレクチャーの要請を受けたので、H1にその対応について相談するため訪問したのであり、またそれを知って被告人稲村がT1を呼びつけ、被告人横手の質問に対しT6が撚糸工連のため有利に答弁するよう、伝達方指示したともみられ、また、Ⅰは当日二回も被告人稲村の事務所を訪れているので、T1が急に同被告人に呼ばれたことやT1がそこで同被告人と話し合った内容も当然承知しているはずであるから、Iはそれらの事実を踏まえ、それから初めてOに被告人横手の本件質疑の件を電話連絡したとも推理される。」などとも主張しているが、Iが被告人稲村の事務室を来訪した経緯、目的や、Oに対する連絡の経緯等に関する右主張は、全く根拠がなく、かえって、I、O、H1の各証言、O、H1の各検面調書記載供述等関係証拠と明らかに矛盾するのであって、到底採用の限りでない。

四  判示第三・四1、2の請託について

1 被告人横手の弁護人は、同被告人がO、Iから判示第三・四1、2のような請託を受けた事実はない旨主張する。

2 しかしながら、Iは、公判廷で右各請託の状況、内容について判示各認定にそう事実を証言し、Oの検面調書にも、判示第三・四2の「源氏」における請託の状況、内容について右判示認定にそう事実に関する供述が記載されているところ、右各供述は、いずれも詳細、具体的で、前記のとおりの本件設備共同廃棄事業の計画、準備の進捗状況にも鑑み、内容は自然で合理的であり、相互に及び他の関係各証拠ともよく符合しているのであって、その信用性は高いということができる(右O検面調書記載供述と相反するOの証言部分はたやすく信用し難い。)。

この点については、被告人横手の昭和六一年四月一六日付け(一三丁のもの)及び同月一八日付け各検面調書にも、右I証言、O検面調書記載供述に相応する内容の供述が記載されていることが明らかであるところ、同被告人の取調検察官でもあった前記証人田中森一の証言や右供述が調書に録取された経緯等に関する同被告人自身の公判廷供述の内容に鑑み、また、後記八1(一)説示の各点にも照らし、同被告人の検面調書記載の右供述部分の任意性には疑いをいれる余地がないと認められるのみならず、右供述内容は、それ自体合理的で自然であって、右のとおり信用性が高いと認められるI証言、O検面調書記載供述を初めとする関係各証拠にもよく符合すること等をも勘案するに、その信用性もまた高いと認めることができる(なお、被告人横手の弁護人は、同被告人の検面調書中、右供述記載部分については、これを証拠とすることに同意する旨の意見を述べている。)。

ところで、押収されている質疑用原稿(昭和六一年押第一0七二号の4ないし8)は、生活産業局担当者が作成して昭和五七年八月五日午後ころ被告人横手に届けた同被告人の本件一般質疑用原稿であるが、右原稿には、同被告人によって種々の書込みが加えられていることが明らかであるところ、その書込みの内容は、概ね、右I、O及び同被告人が右のとおり供述している本件請託の際におけるI、Oの同被告人に対する要望、説明の内容に合致していると認められるのであって、以上によると、右質疑用原稿の書込みは、被告人横手が、I、Oから本件請託を受け、これに従って、既に手元に届いていた右質疑用原稿に修正を加えたとの事実を推認させるものということができるのである(同被告人が右書込み後の質疑用原稿の趣旨にそって本件一般質疑で現に質問したことは、本件質疑の議事録[甲72添付]によって明らかである。)。

なお、押収されているカセットテープ一巻(昭和六一年押第一0七二号の86)、被告人横手の公判廷供述によると、同被告人自身、昭和五七年一一月一二日の日本撚糸会館落成、撚糸工連創立三0周年記念祝賀パーティーに来賓として招かれてあいさつした際、本件一般質疑について触れ、「明日質問するちゅう時に、O理事長、わざわざ飛行機でお出でいただきまして、そして、明日これとこれと聞けと、こういうことでございまして、質問ができ上がった後でございましたけれども、これを修正した」と述べていることが明らかであるが、かかる同被告人の発言自体、右の推認を裏付けるものであることはいうまでもない。被告人横手の弁護人は、同被告人の右発言は、自分も撚糸工連のため働いているというリップサービスとして、いわば政治家のはったりをきかせたあいさつをしたに過ぎない旨主張するが、右のような発言内容の具体性にも照らし、また、右のとおりの同被告人による質疑用原稿への書込みの状況等にも鑑みるに、同被告人の右発言が前記の推認を裏付ける証拠価値をもつことは明らかであって、右弁護人の主張には左袒し得ない。

以上検討のとおり、本件では、判示各請託の事実の認定を支持する証拠価値の高い各種の証拠が存在することが明らかである。

3 これに対し、被告人横手の弁護人は、I、Oが被告人横手に判示のような請託をしたことはない旨主張し、右主張の理由として、種々の点を指摘しているので、以下、これらの点のついて検討する。なお、被告人横手の弁護人は、同被告人、O、Iが判示第三・四2の日時に「源氏」で会食したことは認めるが、判示第三・四1については、Iが昭和五七年八月五日午後三時ころ被告人横手の事務室を来訪したことはなく、その来訪、面談の時刻は同日午後六時ころである旨をも主張している。

(一) 被告人横手の弁護人は、「同被告人は、本件一般質疑に立つことを勧められて以来、平素関心をもっていた繊維の不況問題のうち、自己の選挙区である福井県を含めた北陸地方の合繊業界の現状認識の上に立って、合繊織物業及びねん糸業並びに合繊織物関連産業を中心に(質問に)取入れることにした。そこで、まず、昭和五七年七月二二日ころゼンセン同盟常任中央執行委員Aと打合せ、さらに同月三0日福井市の福井県工組を含む各業界団体を回って、それぞれの懸案事項、要望事項を調査し、Iらと会う前既に仮より機設備共同廃棄事業を含む具体的な質問項目を取決めていた。」旨主張する。

しかしながら、一応右弁護人主張のとおり、被告人横手がIと会う前、既に本件設備共同廃棄事業について質問する旨決めていたとの事実を前提として考察しても、まず、右Aは、右事業の内容について具体的に知る立場になかったことが明らかである上、同月三0日同被告人が福井県工組等を訪問した事実自体は関係証拠上これをうかがうことができるものの、同被告人がその際面談してレクチャーを受けたと供述するN福井県工組専務理事らは、判示のような当時のいわば中央レベルにおける作業状況、ことに、買上価格等について当時通産省内部の折衝が難航しており、実施時期の点等からも懸念すべき状況にあったことなどを具体的に把握する立場にあったものではないと認められるのであって、その他、本件各証拠を総合しても、同被告人が、Iらに会う前、既に本件設備共同廃棄事業の計画、準備に関する右のような問題点を把握していたことをうかがわせるに足りる事由があるとは認められないのである(なお、後記(二)をも参照。)。

そうすると、右弁護人主張のAとの打合せや福井県工組訪問等の事実は、判示のとおりの請託の事実を認定するについて格別妨げとなるものではないことが明らかというべきである。

(二) 被告人横手の弁護人は、同被告人が本件一般質疑のいわゆる質問取りのため同被告人の事務室を来訪した通産省関係者から買上価格等本件設備共同廃棄事業の問題点についても説明を受けていたとも主張するが、右の主張は、右質問取りのため同被告人の事務室を来訪したT2原紡課、T7計画課各総括班長の証言に照らし、理由がないと認められる。

(三) 被告人横手の弁護人は、Iらに請託の意思があったことを否定する理由として、昭和五七年八月四日専務理事に過ぎないIが一人で何の前触れもなく、何の資料も持たずに、被告人横手の事務室を来訪したというのは、請託ないし陳情の意思がある者の行動としては不自然である旨主張する。そして、右弁護人は、従って、被告人横手としても、右Iの来訪に接し、前日まで再度にわたって撚糸工連に来室方を要請していたので、Ⅰがやむを得ず来室したに過ぎないものと判断したのであるとも主張する。

しかし、同日の来訪時には紹介者としてH1も同行していたのであるから、撚糸工連の専務理事として本件設備共同廃棄事業に関する事務全般を掌握する立場にあったIがとりあえず他の役員を連れずに来訪すること自体、何ら不自然ではないこと(なお、当時既に、O、Iとしては、後にOが上京して被告人横手に会うことを希望していたと認められる。)、判示の請託自体、Iとしては、格別の資料がなくとも行い得る内容のものであったこと、Iとしては同被告人に対する最初の紹介、面談の機会の設定はH1に任せていたのであるから、所論がI自身何らアポイントメント等の措置をとらなかったことを論難するのであれば、むしろかかる所論自体失当であると考えられること等の諸点に鑑みると、同人の右来訪時の状況が請託、陳情の意思をもっていた者の行動として不自然であるとの前記主張もまた理由のないことが明らかというべきである。なお、被告人横手は、公判廷で、同年七月二七日と同年八月三日の二回、撚糸工連に対し、本件質疑に関するレクチャーのため来室するよう要請してあったとの趣旨を供述するが、かりに右の事実を一応前提としたとしても(ただし、Iは、かかる要請を自分は承知していない旨証言しているところ、右の証言は十分信用することができる。)、同月四日におけるIの来訪の前記のような態様自体、同被告人の供述によれば本来無関係のはずのH1がIに同行して紹介役をつとめた点等も含め、レクチャーの要請に応じて来訪した者の行動としては、むしろ極めて異常というべきであり(同被告人自身公判廷でその趣旨を供述している。)、また、被告人横手ないし民社党等と撚糸工連との平素の極めて疎遠な関係等にも鑑み、Iが単に自分の来室要請に応じてレクチャーのため来訪したと同被告人が理解した旨の右主張部分も理由がないといわざるを得ない。

(四) 被告人横手の弁護人は、Iが昭和五七年八月五日に同被告人の事務室を訪問した時刻を午後三時ころと証言している点等を含め、同被告人の事務室を訪問した状況等に関するIの証言は、同被告人の日程等と対照しても不自然であることが明らかであるとも主張するが、Iの行動に関する右弁護人の主張は、例えば、商工委員会には各委員が必ず出席しているものでないことは証拠上明らかである(被告人横手及び同稲村も公判廷でこのことを自認している。)のに、同月四日商工委員会開会中の時間帯を被告人横手に対する面会、紹介の時刻としてH1が指定した旨Iが証言しているのは不自然であると論難するなど、独自の前提に立脚してI証言を非難するものであるに過ぎず、とるを得ない。

(五) 被告人横手の弁護人は、「撚糸工連は、本件設備共同廃棄事業実施の推進については、当初から被告人稲村一人に陳情し、同被告人の政治力に期待をかけ、通産省当局に対する働きかけはすべて同被告人に託していたのであり、事実同被告人の政治力が通産省関係局課に十分浸透していたから、撚糸工連側としては、昭和五七年八月六日の商工委員会で被告人横手が本件設備共同廃棄事業の問題を取上げることを知っても、特に同被告人に請託までして同被告人の力を借りる必要はなかった。」とも主張する。

なるほど、撚糸工連が、本件設備共同廃棄事業の実施について、当初から被告人稲村に陳情し、同被告人の政治力に期待をかけていたことは所論のとおりであるが、右陳情等にもかかわらず、本件設備共同廃棄事業に関する通産省内部の意見調整が難航していたことは前記二認定のとおりであったのであるし、また、前記三認定のとおり、O、Iとしては、被告人横手に対して本件請託をするということ自体、被告人稲村の勧めによるものであると理解していたと認められるのであるから、右の所論は、そもそも立論の前提を欠いた主張であるといわなければならず、これまた採用に値しない。

4 結局、以上検討のとおり、本件では前記2挙示の各証拠により判示第三・四1、2の各請託の事実を優に認定し得ることが明らかであって、この点を争う被告人横手の弁護人の主張はすべて理由がない。

五  判示第三・六1の現金一00万円の収受について

1 被告人横手の弁護人は、判示第三・六1の日時、場所で、同被告人、O、Iが会食したことはあるが、その際同被告人がO、Iから現金を収受した事実はない旨主張し、同被告人も公判廷で同旨を供述している。

2 しかしながら、Iは、公判廷で、「昭和五七年八月五日昼現金一00万円を白封筒に入れて準備し、夜『源氏』で待っていると、午後七時過ぎころ横手が来、午後七時四0分か五0分ころOもやってきた。飲食しながら、判示第三・四2の依頼等をした。食事が終わり、果物かアイスクリームも終わったところで、私は一00万円の現金入り白封筒を机の下でOに手渡した。Oは、ちょっと中をみるような格好をした後、中腰の形で、お礼の気持ちです、とか何かぼそぼそ言って、両手で差出した。横手は、いや申訳ないとかいうような簡単な言葉を何か言って受け取り、これを上着のポケットに入れた。会食中横手は終始上着を着ていた。」旨証言しているところ、Iの証言の信用性が一般的に高いことは前記一1で説示したとおりであるのみならず、右証言部分も、詳細、具体的で、本件請託、謀議の状況等を含む本件の諸事情にもよく符合し、その内容も自然であるということができ、信用性は高いと認められる。

Oの検面調書にも、この点について、「昭和五七年八月五日午後八時少し前ころ『源氏』に着いた。横手とIは既に来ていた。三人で飲食しながら、判示第三・四2のとおりの依頼等をした。食事が終わりかけたころ、私の横に座っていたIが、『理事長、はい、これ。』と小さな声で言った。横を見ると、テーブルの下から私に白い封筒を差出していたので、私は、横手に差上げる一00万円の入った封筒だなと思い、その封筒をIから受け取った。私は、前に座っている横手に気付かれないように、体を少し後にそらしてテーブルの下でその封筒の中をチラッと覗いてみた。たしかに一万円札が入っていた。枚数を数えたわけではないが、そのとき触ってみた厚さとIがちゃんと準備してくれた一00万円であるということから、間違いなくその封筒の中には一万円札一00枚が入っているものと思った。私はこの封筒をテーブルの上に出し、椅子から少し立ち上がって中腰になり、封筒を両手で持って横手の目の前に差出し、横手に、『これはほんの気持だけです。どうぞ。明日はよろしくお願いします。』と言った。横手は、少しためらうような感じで、『いや、どうもすみません。』と言って、その一00万円入り封筒を私から受け取り、すぐたしか上着のポケットにしまった。」旨の供述が記載されているところ、一般にOの検面調書記載供述の信用性が高いことは前記一2のとおりであるが、右の供述部分もまた、詳細、具体的で、本件の状況にも照らして自然な内容であると認められ、また、前記のとおり信用性が高いと認められるIの証言とも概ねよく符合しているのであって、信用性は高いと認められる。

これに対し、Oは、公判廷では、「源氏」で被告人横手に現金を渡したことはないと思うなどと、右検面調書記載供述と基本的に相反する証言をしているのであるが、一般に検面調書記載供述と異なるOの証言の信用性が低いと認められることは前記一2のとおりである上、右の部分も、不自然不合理な点を多々包含し、また、自己の記憶、認識に反するという右現金供与等の事実を検察官に述べるに至った経緯、理由としてOが公判廷で述べているところもまた、それ自体不自然で、前記田中証人の証言等にも照らし信用し難いと認められるのであって、結局右証言部分の信用性は著しく低いというべきである。

3 被告人横手の弁護人は、判示第三・六1の右現金一00万円の供与を否定する趣旨の種々の主張をしているが、その多くは、前記2のとおり信用性が著しく低いと認められるOの証言内容を前提として、Iの証言等を論難するものであって、その前提において失当であるというほかはない。

なお、被告人横手の弁護人は、「源氏」は外部からガラス越しに店内の様子を見通せる構造になっており、従業員はもとより客の出入りも多い店なので、そこで賄賂の授受を行うということは考えられないとの趣旨をも主張しているが、I証言、O検面調書記載供述等によると、この時O、Iが被告人横手に渡した現金は、縦一八センチメートル位、横一二センチメートル位の事務用の白無地封筒に入れられ、もとよりこの中に現金が入っていることなどは第三者には分からない態様で授受されたというのであるから、右「源氏」店内でかかる授受を行ったとしても、格別他人の目を気にしなければならないようなことはなかったと認められるのであって、右弁護人の主張もまた失当である。被告人横手の弁護人は、Iらが述べている本件現金供与の際の状況、特にその際のOの行動には、その他にも不自然なところがあるとの趣旨の主張をもしているが、所論に鑑み検討しても、Iらが供述している本件供与の際のOの行動等に格別不自然なところがあるとは認められない。

また、被告人横手の弁護人は、「Iは昭和五七年八月五日午後五時過ぎ(注。この点はIの来訪が午後六時ころである旨の主張[前記四3」とやや合致しない嫌いがある。)に議員会館の被告人横手の事務室に来て事情を説明した後同被告人より一足先に『源氏』に赴くため同事務室を退出する際、同被告人のH2秘書にも『源氏』での会食に招待したい旨申出ており、この点についてはその場に同席していた同被告人のH3秘書(注。なお、後記七3(一)(1)参照。)も同旨の証言をしているが、ⅠがOと『源氏』での同被告人に対する贈賄を謀議した上現金一00万円を用意していたとするならば、H2秘書を『源氏』に招待するなどということは通常考えられない。」とも主張するが、この点については、Iは、公判廷で、秘書を誘った記憶はない旨証言しているのであって、右証言もまたその信用性を十分肯認することができる。これに対し、被告人横手は、公判廷で、右弁護人の主張にそう趣旨の供述をし、当時同被告人の秘書であったH3も、「八月五日、横手が『源氏』に向かう時、H2秘書に対して、『君もどうだいって言われるけど。』と誘ったが、H2は断っていた。IがH2も招待すると横手に申出ているのだと理解した。」旨公判廷で供述しているのであるが、右各公判廷供述中、Iが被告人横手に対して秘書を招待すると申出た旨ないしそのように解される趣旨の言動を同被告人がH3にした旨の供述部分は、Iの前記証言にも照らし、また、その他関係証拠により認められる本件の情況にも鑑み、これを措信することができない。結局、右弁護人の主張も、理由がないというべきである。

4 以上検討のとおり、判示第三・六1の現金一00万円の収受の事実は、前記2のIの証言、Oの検面調書記載供述を初めとする関係各証拠によりこれを優に認定し得ることが明らかであって、この点を争う被告人横手の弁護人の主張は理由がないと認められる。

六  本件一般質疑について(判示第三・五2、第四・四1)

1 被告人横手の弁護人は、判示第三・五2の本件一般質疑におけるT6の答弁について、「被告人横手が繰返し質疑を続けたことに対して、T6が想定問答集の答弁案より一歩進んだ答弁をしたのは、国会の場で通常行われている質疑応答の実情からみて、なすべくしてなされた質疑であり、またそれに対する答弁ということだけのことである。」とも主張し、被告人稲村の弁護人も、これと同旨を主張している。

2 しかしながら、関係証拠によると、被告人横手の本件質疑について、原紡課では、計画課とも合議の上想定問答を準備したが、本件設備共同廃棄事業については、いまだ計画課との協議が続行中であること等に照らし、検討中であるとの程度の内容の答弁にとどめることとし、例えば、仮より機の買上価格に関する答弁については、当初の原紡課の案が今後検討して参りたいという趣旨のものであったのを、計画課の意見をいれて、「十分慎重に検討して参りたい。」と修正するなどもしたこと、T6も、本件設備共同廃棄事業についてはいまだ計画課と協議中であり、従って想定問答の内容も右の程度にとどまっていることを十分理解し、当初は右想定問答の趣旨に従った答弁をしていたが、判示第三・五2の経緯で、実施時期、買上価格について具体的な目途を提示する趣旨の判示の答弁をするに至ったこと、原紡課の担当者はT6が特に右の各点で合議した答弁内容より踏込んだ答弁をしたと理解したこと、T1は本件質疑当時出張中であったが、昭和五七年八月九日、出張から帰ったあいさつ等のためT6に会った際、同人から、本件質疑について、「想定問答よりちょっと前向きの答えをすることになったよ。ちょっと言い過ぎたかな。」と言われ、調査した結果、本件設備共同廃棄事業の実施時期、買上価格の点を指していると理解し、局長のかかる答弁は十分念頭において作業を進める必要があるとの考えから、部下にもその旨告げてこれを督励したこと、T6も、特に本件設備共同廃棄事業の実施の時期についてかなり方向性をはっきりさせた答弁をしたという点で局長としての責任を負ったと感じ、かかる配慮もあって、本件事業の計画、準備のその後の進捗にも関心をもって、T1とその旨話をしたり、T8中企庁長官に対しても配慮依頼方の電話をしたりしたこと、本件質疑の傍聴者らを含む業界関係者も、本件一般質疑には大きな成果があったと評価し、業界紙等もかかる観点から本件質疑を取上げ、特に同月七日付け繊研新聞は「仮撚機共同廃棄年内実現へ」との大見出を掲げ一面トップで本件質疑を報道したこと等の各事実を優に認定することができるところ、以上認定の事実によると、本件一般質疑におけるT6の答弁は、右弁護人主張のようになすべくしてなされた質疑に対する当然の答弁というようなものではなく、特に実施期間、買上価格について具体的目途を提示している点で、当時の通産省関係者らの予測をこえて撚糸工連に有利なものであったことが明らかである。従って、I(証言)、O(検面調書記載供述、証言)が、いずれも、右の点で本件一般質疑を高く評価した旨供述しているのも、もとより当然の供述であって、十分信用することができる。付言するに、後記八、九2のとおり、O、Iが、本件質疑の右のような成果を、被告人横手や通産省関係者にあらかじめ働きかけてくれたり質疑中撚糸工連のため発言してくれた被告人稲村の助力によるところが大きかったと理解したことは明らかであるが、他方、T6が右のような答弁をしたについては、同被告人に対する配慮等と同時に、本件一般質疑の議事録(甲72)に照らして明らかなように、被告人横手の執拗かつ熱心な質問の仕方に起因するところも大きかったと認められるのであって、O、Iが、T6からかかる答弁を引出した点で被告人横手に対しても感謝の気持をもった旨供述している点も、もとより首肯することができる。

3 以上検討のとおりであるから、被告人らの弁護人の前記1の主張は、これを採用するに足りないことが明らかである。

七  判示第三・六2の現金一00万円の収受について

1 被告人横手の弁護人は、同被告人が昭和五七年八月一0日自己の事務室でO、Iから現金一00万円を供与された事実(判示第三・六2)はない旨主張する。

2 しかしながら、この点についても、Iは、公判廷で、「昭和五七年八月一0日午前九時三0分ころから一一時ころまで、虎の門大和銀行ビルで繊維工業審議会と産業構造審議会繊維部会との合同小委員会が開かれ、撚糸工連からは、Oのほか、S、X両副理事長、U常務理事、N福井県工組専務理事(W副理事長の代理)が出席し、私は、あらかじめOの指示に従って用意しておいた紫色のふくさに包んだ一00万円入り白封筒を持って、大分遅れて会場に行った。Oに用意してきた旨言ったら、私から渡すよう指示された。右会議終了後、O、S、T、私の四人で、議員会館に行き(午前一一時四五分の面会申込書があるので、議員会館到着はその時刻と思う。)、稲村の事務室に行った。議員会館へ行った目的は、Oとの従前の話のとおり横手のところにお礼に上がるということと、横手の秘書に不幸があったので、それについてもOから一言お悔やみを言ってもらいたいということであった。S、Xを同行したのは、やはり上京したわけだから、稲村の部屋に行き、稲村がいればあいさつしておくためである。稲村の事務室には稲村はおらず、H1がいた。一休みした後、Oに、『横手先生のところにお悔やみにちょっと顔を出して下さい。』と声をかけて、Oと二人で横手の事務室へ行った。特にその場にいたXなどには問題の経緯をあまり明らかにしたくないと考えていたので、お礼に行くというようなことは言わなかったはずである。横手の事務室の手前の秘書室(注。被告人横手の事務室を含め、議員会館の事務室は、廊下に面した秘書室と、その奥にあり、秘書室とドアで通じている議員執務室とに分かれている。)の方には、一人か二人人がいたと思うが、それが秘書かどうかははっきりしない。奥の議員執務室の方には、他に客はいなかったと思う。議員執務室に入り、初め立ってOがお悔やみを言った。それからソファにすわり、Oが、『先日の商工委員会での質問は本当にありがとうございました。おかげで我々の仮よりの共同廃棄事業も所定の予定どおり実行できることになりました。本当にありがとうございました。』と言った。私も、『大変お世話になりました。ありがとうございました。』と言い、また、お礼のほんの気持ですというようなことを言いながら、ふくさの中から一00万円入りの封筒を出して、机の上に出した。横手は、辞退の態度なく、これを受け取った。『私もやりました。お役に立ててよかった。幸せだと思います。』というようなことを言っていた。」旨証言しているところ、右証言は、Iの証言の全体としての高度の信用性(前記一1)にも照らし、また右証言部分自体詳細、具体的で、本件の状況にもよく符合して、内容が自然であること等にも鑑み、その信用性には高度のものがあると認めることができる。

そして、この点については、Oの検面調書にも、「昭和五七年八月一0日午前九時半少し前に繊工審の会場に着いた。撚糸工連からはU、S、X、N、I、私が出席した。たしかこの会場でだったと思うが、Iから、『理事長、一00万円準備しております。』と言われた。私は二度目だから別にIから横手に渡しても失礼にならないだろうと思い、Iに、『君から渡すようにしてくれよ。』と言い、Iも了解した。午前一一時過ぎに繊工審が終わったので、U、X、I、私の四人が一緒にタクシーに乗って、議会会館に行った。議会会館に着いたのが一二時少し前だった。まず、四人で稲村の事務室に行った。稲村はいなかった。稲村の事務室に入ってH1にあいさつした後私とⅠは、UとXに、『ちょっと横手先生の部屋に行ってくるから。』と言って隣の三三九号室の横手の事務室に行った。私が横手の事務室に入ったのは後にも先にもこの時一回だけだ。部屋に入るとたしか女の秘書がいたので、あいさつした。横手は奥の部屋(注。議員執務室)に在室しているということだったので、Iと一緒に奥の部屋に入った。部屋には横手一人だった。ここに来る前にIから横手の秘書がなくなったということを聞いていたので、まずお悔やみのあいさつをして、それから応接セットに座った。私はまず横手に、『先日の委員会ではいい質問をしていただいて本当にありがとうございました。おかげさまで設廃事業も目途がつき早急に実施されると思います。これも先生のご質問のおかげです。本当にありがとうございました。これからも色々とご指導いただかなければなりませんが、よろしくお願いします。』とお礼を言った。横手は、『いやあ、頑張りました。お役に立つことができて光栄です。』というようなことを言ってくれた。その後Iが、『本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。ほんの気持ですが、納めて下さい。』と言って一00万円入りの無地の白い中封筒を横手の目の前のテーブルの上に差出した。横手はこのときはわりとあっさりと、『そうですか。ありがとうございます。』と言ってその封筒を自分の方に引き寄せ、テーブルの端の方に置いた。私とIはその後すぐ立ち上がって、部屋を出た。」旨の供述が記載されているところ、右供述も、Oの検面調書記載供述の全体としての高度の信用性(前記一2)にも照らし、また右供述部分自体詳細、具体的で、本件の状況にもよく符合して内容が自然であり、前記のとおり信用性が高いと認められるI証言とも概ねよく合致していること等にも鑑み、その信用性にはやはり高度のものがあると認められる。

これに対し、Oは、公判廷では、右の日時にIと二人で被告人横手の事務室を訪ねたことはあるが、その機会に現金一00万円を同被告人に供与したという記憶はなく、そのようなことはなかったと思う旨、右検面調書記載供述と基本的に異なる証言をしているのであるが、一般に検面調書記載供述と異なるOの証言の信用性が低いと認められることは前記一2のとおりである上、右の証言部分も、不自然、不合理な点を多々包含し、また、自己の記憶、認識に反するという右一00万円供与等の事実を検察官に対して述べるに至った経緯、理由としてOが公判廷で述べているところもまた、それ自体不自然で、前記田中証人の証言等にも照らし信用し難いと認められるのであって、結局、右証言部分の信用性は著しく低いと認められる。ただし、付言するに、Oは、公判廷でも、自分とIは被告人横手の事務室のうちの奥の議員執務室の方で同被告人と会ったと思う、そこには同被告人のほかには人はいなかったのではないかと思うなどと、重要な点で後記3の被告人横手の公判廷供述等と相反する反面、自己の右検面調書記載供述と符合する趣旨の供述をしている部分もあるのであって、この点は、後の同被告人の公判廷供述等の信用性を検討するに当たって、看過し得ないところであると考えられる。

3(一)(1) これに対し、被告人横手は、公判廷で、昭和五七年八月一0日午後零時の直前ころO、Iが同被告人の事務室を来訪したことはあるが、その際の状況はO、Iが前記2のとおり供述しているところとは全く異なっており、右の機会に右両名から現金を受領したことはない旨供述するとともに、同日ころの同被告人の行動について逐一詳細に供述している。すなわち、同被告人は、同月九日、福井市にいたが、前記H2秘書が死亡した旨の知らせを後記H3から聞き、妻の横手Cと同被告人の地元(福井県)の秘書であるH4を伴って急遽上京し、議員会館の自己の事務室やH2秘書の自宅(注。H2方の所在地は、東京都練馬区〈住所省略〉である。)に寄るなどした後、青山の議員宿舎(判示第三・五1)に戻り同日はC、H4と同宿舎に泊ったと供述するとともに、さらに、同月一0日の行動等として、「同日には、午後七時からH2方で通夜が行われることになっていた。C、H4と議員宿舎で朝食をとった後、午前九時前発のマイクロバスに乗り、三人で議員会館へ行った。事務室に行くと、私の秘書のH3(注。昭和六三年三月婚姻による改氏前の姓は○○であるが、以下、すべてその姓をH3として表示する。なお、当時、同女とH2が議員会館内の被告人横手の事務室に勤務していた。)が既に来ていて、H2の机の上に花とお茶が供えてあった。九時二0分に民社党の国会対策委員会(以下、国対という。)が開催されることになっていたのでこれに出席した。その際H4を連れていった。国対終了後佐々木民社党委員長に呼ばれてその部屋へ行った。その際木下衆議院議員の桑原秘書にH4を連れ帰るよう頼んでおいた。一0時三0分ころ事務室に帰った。秘書室にはH3が、議員執務室にはCがいた。一一時前ころ(注。ただし、後に一一時三0分ころと供述が変わっている。)、福井新聞東京支社の宮本記者が来室したので、私が秘書室へ出て行ってあいさつした。議員執務室にいたCにもちょっと来いと声をかけ、秘書室に入ったところで、Cを宮本に紹介した。H4はそのころはまだ帰室していなかった。H4が帰ってきたのは一一時過ぎか一一時三0分ころである。午後零時直前ころ、OとIが来て、『この間、質問ありがとうございました。秘書さんがなくなられたんだそうですね。それは大変でございました。』とあいさつした。一人が事務室入口(秘書室と廊下との境)のドアを持ったままの状態での立話だったし、その際何も受け取らなかった。Cは奥の議員執務室にいたが、格別あいさつさせなかった。その後、C、H4と事務室を出、院内か議員会館で昼食をとった。H3は事務室に残った。食事後事務室に戻り、一時三0分ころまた事務室を出たが、その前に、CとH4に本会議を傍聴するように言った。傍聴の手配はH3にしてもらった。私は、民社党政審室に寄ってから、一時四五分ころ民社党の代議士会に出席し、二時過ぎころ開会の本会議に出た。傍聴席にCとH4がいるのが見えた。二時二0分ころ本会議が終了するとまっすぐ事務室に帰った。CとH4も間もなく帰室してきた。二時三0分すぎ、香典の金一0万円を用意するようH3に言った。H3はそれで大和銀行衆議院支店へ行ったと思う。三時ころ喪服に着替えるためCが議員宿舎に向かい、H3がタクシーに乗るところまでCに同行した。H3は、そのまま、当日の通夜の手伝いのためH2方に向かった。それから来客二名(Q福井県議とG福井地方同盟書記長の娘)が来た。四時三0分ころ衆議院の公用車が迎えに来たので、議員宿舎にいるCに待っているよう連絡した上、H4、右二名の来客とともに右公用車に乗込み、途中議員宿舎でCを同乗させ、六時過ぎH2方に着いた。七時から通夜が始まった。」旨供述している。

(2) 前記H3も、公判廷で、昭和五七年八月九日朝H2の死亡を知り、福井市にいた被告人横手に連絡したところ、同被告人が同日C、H4とともに上京してきたなどと証言するとともに、同月一0日の状況について、「午前八時三0分から九時の間のころには横手の事務室に入った。それから花屋に行って花を買ってきた。九時ころ、横手夫妻とH4が事務室に来た。九時二0分から民社党の国対があるので、横手はH4を連れて出かけた。それから横手は佐々木民社党委員長の部屋へ行った。委員長の秘書から、横手が今来ている旨の連絡があった。Cは、事務室の議員執務室のソファに座っていた。一0時か一0時三0分ころ横手が帰室した。H4が戻ってきたのはこれより後だった。横手夫妻はずれも議員執務室にいた。午前中ではなかったかと思うが、福井新聞の宮本が来た(注。ただし、後に、午前中かどうかは自信がない、宮本が来たのが何時かは分からない、と供述が変わっている。)。午後零時ころOとIが来た。Iは事務室入口(廊下と秘書室との境)のドアのノブを持ったまま立ち、Oはその横から秘書室内に入ってきて、Iの近くに立った。横手はそれを見て(秘書室と議員執務室の間のドアは開いていた。)、秘書室の方に出てきた。皆立ったままの状態で、たしかIが『先日はどうも。』と、Oが『このたびはどうも。』と言い、横手はこれに対してお辞儀してあいさつしていた。このとき議員執務室のソファにはCが座っており、O、Iは、議員執務室には行かず、一分もいないうちに退出した。二人は全くの手ぶらで、横手に何か物を渡すようなことはなかった。午後零時過ぎ(注。後には、何時ころかは記憶がない旨供述している。)、横手、C、H4が昼食のため外出した。私は昼食はとらず、事務室に残っていた。一時三五分ないし四0分ころ、C、H4の本会議傍聴手続のため、私もC、H4とともに事務室を出た。横手も、一時四五分の民社党代議士会、二時の本会議にそれぞれ出席するため、やはり事務室を出た。その帰り、第一議員会館から第二議員会館へ移動する途中、全日自労のEに会って言葉をかわした。Eは、横手に会うため事務室に行ってきたが、不在で会えなかったと言っていた。その時刻は二時前だった。二時ころ、日刊福井の夏野が来て、H2の死亡について私に取材した。二時三0分ころ横手が事務室に帰ってきた。CとH4はその後に帰室した。二時三0分以降の時刻に、横手から香典の金一0万円を用意するよう指示され、大和銀行衆議院支店に行って二0万円をおろした。三時か三時少し前、通夜の準備にH2方へ向かうため、事務室を出た。その際、着替えのため議員宿舎に戻るCと議員会館の前まで同行し、そこでCをタクシーに乗せた。この日、来客を議員執務室に通したことはない。四時三0分ころH2方に着いた。その後、横手夫妻とH4がH2方に来た。もう一人だれかが同じ車に乗ってきたような気がする。」旨、被告人横手の前記(1)の公判廷供述と基本的に符合する趣旨の証言をしている。

なお、H3は、昭和六一年四月に検察官の取調べを受けた際には、記憶喚起が十分できないまま、昭和五七年八月一0日における自分の行動として、議員会館の横手事務室に出勤した後、午前一0時ころには右事務室を出てH2方へ向かったと思うと供述した旨をも証言している。

(3) 前記Cも、公判廷で、昭和五七年八月九日福井市にいたが、H2が死亡した旨H3から知らされ、また、上京するよう被告人横手に指示されて、同被告人、H4とともに急遽上京し、議員会館の同被告人の事務室やH2方に寄るなどした後、青山議員宿舎に行き、同被告人、H4とともに右宿舎に泊まった旨証言した上、さらに、同月一0日の行動等として、「青山議員宿舎で横手、H4と朝食をとった後、午前九時前にマイクロバスで宿舎を出、一0分位で議員会館に着いた。横手の事務室に行ったら、H3がいた。H2の机の上に白い花とお茶が供えられていた。私は議員執務室のソファに座った。昼食に行くまで、一度福井新聞の記者にあいさつするため席を立ったほかは、午前中ずっとそこにいた。手洗いなどにも立ってはいない。事務室に着いた一0分後ころ、横手は、会合に出るということで、H4を連れて事務室を出た。一0時ころ電話があり、それを受けたH3が、私に、『議員は委員長のところに立ち寄るから少々遅れます。』というふうに言った。一0時二0分ないし三0分ころ、横手が帰ってきた。H4はそれより遅れて帰室した。一一時三0分ころ、横手に呼ばれて、席を立ち、秘書室に出て行って、福井新聞の記者という人にあいさつした。あいさつしてから、私はまた議員執務室に戻った。O、Iが来訪したということは知らない。前述したとおり、昼食に立つまで、私は福井新聞の記者にあいさつした以外議員執務室にいたのだが、その間議員執務室に入ってきた来客はいなかった。午後零時すぎ、横手、H4と院内の食堂へ行って昼食をとり、一時ころ三人で帰室した。外出時H3に声をかけたが、H3は私は(食事は)結構だから行ってきて下さい、と言っていた。横手に言われてH4と本会議を傍聴することになり、H3に案内されて、一時三0分ころ、事務室を出た。横手は私たちより先に事務室を出た。H4と二時からの本会議を傍聴した後、二時三0分ころ二人で事務室に帰った。それから三時までの間に、横手が、H3に対し、香典の金を用意するため銀行へ行くよう指示したということがあった。三時ころ、議員宿舎に帰るため事務室を出た。H3が議員会館の前まで送ってくれ、タクシーに乗せてくれた。宿舎で喪服に着替えた。四時三0分ころ、これから議員会館を出るから宿舎の玄関のところで待っているようにという電話連絡が横手からあったので、それに従って待っていると、横手が公用車でやって来た。H4と他の二人の客(Q福井県議とG福井地方同盟書記長の娘)が同乗していた。その車に私も同乗し、六時ころH2方に着いた。七時から通夜が始まった。」旨、やはり被告人横手の前記(1)の公判廷供述(ないしH3の前記(2)の証言)と基本的に符合する証言をしている。

(4) 前記H4も、公判廷で、昭和五七年八月九日福井市にいたが、被告人横手からH2が死亡した旨知らされるとともに、上京方を指示され、同被告人夫妻と急遽上京し、議員会館の同被告人の事務室やH2方に寄るなどした後、青山議員宿舎に行き、同被告人夫妻とともに右宿舎に泊まった旨証言した上、さらに、同月一0日の行動等として、「青山議員宿舎で朝食をとった後、横手夫妻とともに八時五0分発のマイクロバスで議員会館に行った。議員会館には九時ころ着いた。横手の事務室にはH3がおり、白い花とお茶が供えられていた。Cは奥の議員執務室に入った。横手に指示され、横手が九時二0分からの民社党国対に出席するのに同行した。国対は三0ないし四0分位で終わったが、横手はそれから委員長の部屋に行く用があり、たまたま私の横にいた桑原秘書に私を連れ帰るよう頼んでくれた。それで桑原と二人で議員会館へ行き、そこの地下で桑原や途中から加わった同人の知合いとともに一一時三0分位までコーヒーを飲んだ。事務室に戻ったら、横手夫妻が議員執務室に、H3が秘書室にいた。食事に立つまでの間、一般の来客としては、一人で来た人と二人連れで来た人とが各一組いた。いずれも中年で、その二人連れの客の方には、横手も、戸口(秘書室と廊下との境の入口)付近まで来て応対していた。昭和六一年九月に横手夫妻、H3と昭和五七年八月一0日当時の出来事について話合った際、私がこの二人連れの話をしたところ、横手にそれがOとIだと言われた。今の私の認識は、O、Iの写真も知っているので、そう言えばこのときの二人連れがO、Iだったのかな、という程度である。奥の議員執務室にまで入ってきた客はいない。私が帰室してから昼食に出るまで、Cはずっと事務室(の議員執務室)にいた。同日午後零時過ぎ、H3を残して、横手夫妻と事務室を出、院内議員食堂で昼食をとった。一時ころ三人で事務室に帰った。一時三0分過ぎ、Cと本会議を傍聴するため、事務室を出た。H3が連れて行ってくれ、傍聴の手続もH3がしてくれた。横手も一緒に事務室を出た。本会議は二時から二0分位で終わり、Cとともにその後一0分位で事務室に帰った。私たちが帰室した時、横手は既に事務室に戻っていた。その後H3が事務室を明け、一五分か二0分位後に戻ってきたということがあった。後日H3に尋ねたところ、このとき銀行に行っていたということだった。三時ころ、Cが着替えに宿舎へ戻るため議員会館を出た。出口までH3がCを送った。H3はそのままH2方へ向かった。その後二人の客(Q福井県議とG福井地方同盟書記長の娘)が来た。五時前院の車で、横手、右二名の客とともに議員会館を出、(途中でCを同乗させ、)一時間少しでH2方へ行った。七時から通夜が始まった。」旨、被告人横手の前記(1)の公判廷供述(ないしH3の前記(2)、Cの前記(3)の各証言)と基本的に符合する証言をしている。

他方、H4の昭和六一年四月二五日付け、同月二八日付け各検面調書(いずれも、刑事訴訟法三二八条所定の証拠として採用されているもの)には、「私の手帳の昭和五七年八月一0日の欄に『東京事務所にて執務』などとあるので、具体的な記憶はないが、議員会館の横手の部屋にいたものと思われる。私は議員会館の部屋のうち手前の秘書の机などが置いてある部屋の方にいて、電話番でもしていたのではないかと思う。同日の何時から何時まで議員会館の部屋にいたかについては、私の手帳に記載もなく、また、記憶もないので分かり兼ねる。議員会館の部屋にいたときだれに会ったかについても全く記憶がないので分からない。」、「同日の前の晩は横手の議員宿舎に泊ったと思うので、同日の朝は横手と一緒に地下鉄か国会の送迎バスで議員会館へ行ったと思う。議員会館へ着いた時間が何時であったのか思い出せない。この日に議員会館でH3と顔を合わせたかどうかについても覚えていない。H3がH2の自宅へお通夜のお手伝いに行っていたことは覚えているが、何時から手伝っていたのか私にはわからない。私がその日上京していた目的はH2のお通夜とお葬式に出席することだけだったし、東京都内に出かける所もなかったので、夕方H2の自宅へ向かうまでは議員会館の横手の部屋の中の代議士秘書の部屋や、代議士本人の部屋で電話番をしていた。横手本人は国会へ出かけたり、議員会館の部屋へ戻ってきて来客の応対をしていたと思うのだが、私はどんな来客があったのか、(通夜に同行し、私の手帳にも記載があるQ福井県議以外)覚えていない。同日の私の昼食は議員会館の中の食堂で食べたと思う。議員会館の外へ食べに出た記憶がないので、会館の中の食堂だったように思う。また、この昼食のときは私一人で食堂に行ったことはないと思うので、横手と二人で昼食をとったと思う。」旨、前記証言とは大幅に異なる供述記載がなされているところ、H4は、公判廷では、検察官にたいしては、あやふやな点についてはなるべくなら答えないでおこう、まして人に迷惑のかかる、人の名前にかかわることについては答えないでおこうというふうに思って、右のように供述したと思う、取調後記憶喚起したことも多い。などと証言している。

(二) 被告人横手の弁護人は、右(1)の被告人横手、H3、C、H4の各公判廷供述に依拠して、昭和五七年八月一0日に同被告人がO、Iから現金一00万円を供与されたことはなく、右の趣旨のI証言、O検面調書記載供述は信用できない旨主張する。

たしかに、被告人横手、H3、C、H4の右各供述は、内容自体、時刻、時間の点も含め、極めて詳細であって、相互によく符合しており、同日午後一時三0分にEが、午後二時に夏野が、午後三時二0分にGが、午後四時三五分にQが、いずれも被告人横手に面会するため議員会館を訪れた旨の記載がある面会申込書(弁39、40[いずれも写添付]。なお、被告人横手、H3、C、H4にかかる面会申込書はないが、議員本人である同被告人はもとより、その秘書であるH3、H4も、議員会館入館に当たり面会申込書を作成する必要はなかったと認められ、また、Cについても、同被告人の同伴者としてやはり面会申込書の作成は不要であった旨同被告人らは供述している。)、大和銀行衆議院支店の被告人横手の預金口座から同日二0万円が払い戻されたこと等に関する記載のある預金払戻請求書写(弁59)、同日における民社党配属公用車の使用記録(弁63)等とも内容が符合し、また、関係者である宮本浩次、E、夏野宣秀の各証言には、同被告人らの右各供述と合致するところもある。

しかしながら、

(1) 公判廷における被告人横手、H3、C、H4の各供述によると、同人らは、本件の捜査が終了したころから、例えば昭和六一年九月ころ一堂に集まるなどして、本件の訴訟準備のため、昭和五七年八月一0日における出来事につき、相互に話し合い確認し合うなどしていたことが認められるのであるから、右四名の供述が右のとおり符合していることは、そのこと自体では、それほど右各供述の信用性を裏付けるものとはいえない上、右各供述内容に、右四名がかかる記憶を喚起するに至った経緯等として供述するところ等を対照しても、右四名が前記各供述において真にその記憶するところを述べているのか、極めて疑わしいといわざるを得ない。例えば、Cは、自分が証言したような事柄は、他人に確かめたりするまでもなく、自分の生の記憶によって思い出したことである旨証言するが、同女が最近上京したことが右証言時(昭和六三年九月一二日)のほか一回あり、それはH3の結婚式の際であったとしながら、それについては昭和六三年の春であったという以外日時の特定をなし得なかったことなどからうかがわれる同女の記憶力及びその程度に照らし、また、Cを含む本件関係者の前記のとおりの連絡状況等にも鑑み、本件捜査時を基準としても四年も前の出来事について、右証言にかかるような詳細な事項を自己の生の記憶のみによって思い出した旨の同女の供述はまことに不自然であって、信用するには足りないというほかはない。また、他の三名についても、特にH3、H4の前記(一)(2)、(4)各後段のような捜査段階における記憶の状況にも照らし、右三名がそれぞれ右各供述にかかる事項につき記憶を喚起するに至った経緯として供述しているところには首肯し難いところがあるといわざるを得ないのであって、さらに、例えば、H3は、昭和五七年八月一0日CとH4を本会議の傍聴に案内した旨の自己の証言について尋ねられた際、CとH4が二人で来たときに本会議に案内したという記憶がある旨答えた上、それが同日の出来事であることについては、「その後に、H4に、東京に奥様(注。Cの意)と一緒にみえたのはこのときだけだと言われましたので、このときかなと思うんですが。」と述べ、「H4秘書と横手の奥さんが東京に来たのはこのときだけだというのは、H4秘書から聞いて分かったというんでしょう。」との検察官の質問に「はい。」と答え、続いて、検察官に「そうすると、あなた自身の記憶では、その点は分からないんじゃないの。」と尋ねられて、やはり「はい。」と答えるなど、自己の証言中に必ずしも自身の記憶に基づかないところがあることを露呈させてもいるのである。肝心のO、Iの訪問についても、O、Iが同日被告人横手の事務室を訪ねて来たということをH3がいつ記憶喚起するに至っていたかに関し、H3の証言と特に被告人横手の公判廷供述との間には明らかに矛盾するところがあるのであって、これらの点ももとより看過し得ないところである。

(2)  前記H2の実姉であるKは、公判廷で、「昭和五七年八月一0日当時は前記H2方で、両親やH2らと同居していた。通夜の日である同日の昼前後ころ(午後一時か二時ころ私たちが食事するより前)H3が平服でやって来た。通夜の手伝いに来てくれたと思う。H3が門を入って歩いて来るのを、私は玄関か玄関わきの洋間付近で見た。午後三時か四時ころ私が桑原秘書と話をした時には、H3はいなかったと思う。私は、H3は議員会館に帰ったのだと思った。午後七時から通夜が始まった。通夜の際またH3の姿を見た。その時H3は喪服姿だった。後日母の○×から、『この日(昭和五七年八月一0日)、H3の持っている紙袋の中に喪服が入っているのを見た。H3は議員会館で喪服に着替えてくると言っていた。』と聞いた。」旨証言しているところ、右証言は、同居の実弟の通夜の日という証人にとっては特異な印象を残す日の出来事にかかるものである上、それ自体内容も明確であって、信用性が高いと認められるのであるが、Kの右証言を前提とすると、前記(一)のとおり、H3自身及び被告人横手、C、H4が、そろって、H3は昭和五七年八月一0日当日は午前九時ころから午後三時ころまで引続き議員会館にいた旨供述していること、ことにH3、被告人横手、H4が、午後零時前ころO、Iが同被告人の事務室を訪問した際H3はそこに居合わせていた旨供述していることは、いずれも信用し難いということにならざるを得ない。

なお、被告人横手の弁護人は、「K証言によると、H3は着替えのためだけに暑い真夏の日に片道一時間以上を要してH2方と議員会館を往復していることになり、その行動自体極めて不自然であるから、K証言には信用性が認められない。」旨主張するが、Kは、H3が議員会館に戻った用件が着替えの件のみであった旨を述べているのではないから、右の主張は、前提を欠き、失当であるといわなければならない。

付言するに、前記(一)でH3自身及び被告人横手、C、H4が供述している同日におけるH3の行動のうち、午前九時前に同被告人の事務室に出勤して花を買うなどし、午前九時ころ同被告人らと会ったこと、福井新聞の宮本に会ったこと(H3は、当初、宮本と会ったのは午前中であったと思う旨証言していたが、その後、時間帯は明らかでない旨証言するに至っており、また、宮本も、同日被告人横手の事務室を訪ねたと思うとしながら、その時刻については昼ころと思うが何時かは分からないと証言するにとどまっている。なお、宮本の訪問の時刻を午前一一時前とか一一時三0分ころとする被告人横手、Cの各公判廷供述は信用できない[後記(3)参照]。)、全日自労のEと会ったこと(その時刻について、H3は午後二時前と、Eは[日は特定できないとしながら]二時過ぎか三時ころと証言している。ただし、Eと会ったのはCらのため本会議傍聴の手続をしに行った帰りのことである旨のH3の証言部分の信用性は別論である。)、午後二時ころ日刊福井の夏野に会ったこと、二時三0分以降大和銀行衆議院支店へ行ったこと等の行動は、H3が議員会館出勤後H2方に往復したとしても可能なものであるから、Kが供述するH3の行動と必ずしも矛盾するものでないことに留意すべきである。

(3) 被告人横手、H3が供述する福井新聞の宮本ないしCが供述する福井新聞の記者に該当することが明らかな本件当時の福井新聞東京支社記者宮本浩次は、H2の死亡について被告人横手の事務室でH3に取材したことがあり、それは昭和五七年八月一0日の昼前後ころと思う(何時かは分からない。)旨証言する(前記(2))一方、「議員会館の横手の事務室で横手の夫人を紹介されて会ったことが一回ある。その際の夫人の靴が印象に残っており、また、その靴とカーペット状のものの敷いてある床の様子とが一緒になって記憶に残っている。議員会館の事務室のうちカーペット状のものが敷かれているのは奥の議員執務室であり、秘書室の床には敷かれていないから、夫人と会ったのは議員執務室の方である。横手の夫人に会ったのとH2死亡の取材をしたのと、記憶は全くつながらない。」旨をも証言しているところ、被告人横手の夫人(C)と会った状況に関する右証言部分は、その具体性等にも鑑み、十分信用できるのであるが、これによると、被告人横手、Cが前記(一)(1)、(3)のとおり、昭和五七年八月一0日の出来事としてCが事務室の秘書室に出てきて宮本にあいさつしたとの趣旨を述べているのは、やはり信用できないというべく、この点もまた、被告人横手らが真にその記憶するところを述べているのか、その供述全体の信用性を疑わせる事由たり得るというべきである。なお、同被告人らが供述するとおり同日Cが被告人横手の事務室に来合わせていたか否かはともかく、関係証拠によれば、宮本が福井新聞東京支社に勤務していたころ、Cが上京して議員会館の同被告人の事務室に立ち寄った機会は、同日にとどまらず、他にもあったことが明らかである。

(4) 被告人横手の弁護人が昭和六三年五月二四日の第四一回公判期日で行った冒頭陳述中に、昭和五七年八月一0日における同被告人らの行動についての主張があるが、そこでは、Cらの本会議傍聴に触れるところがなく、かえって、「被告人横手の妻は事務室の奥の議員執務室におり、途中昼食時に被告人横手の案内で院内の食堂に出たほかは着替えのため議員宿舎に戻る午後一時三0分ころまでの間、奥の部屋で待っていた。」旨、前記(一)の被告人横手、C、H3、H4の各公判廷供述と大きく異なる主張がなされている。同被告人は、その公判廷供述の中で、かかる冒頭陳述がなされるに至った経緯等につき、要するに弁護人に対する説明の過程で齟齬があったと思うとの趣旨を述べているのであるが、事柄の性質にも照らし、かかる供述自体必ずしも首肯し難いものといわなければならず、ひいては、右Cらの本会議傍聴の点をも含め、同日の出来事については昭和六一年中には概ね思い出していたとの趣旨を述べる被告人横手、H3、C、H4の公判廷供述の信用性を疑わせることとなり、これもまた、右四名の公判廷供述全体の信用性を疑わせる事由に当たるというべきである。

(5) 関係証拠によると、昭和五七年八月一0日朝、民社党国対終了後、昭和五四年一0月七日施行の衆議院議員総選挙で初当選した民社党議員で組織し被告人横手も構成員となっている「さむらい会」の会合が予定され、同被告人も出席を予定していたことが認められ、なお、右会合は予定どおり現に開催されて、同被告人もこれに出席したと推認することができる。同被告人は、同日予定されていた「さむらい会」は日延べになったと思う旨供述するが、その一方で、同被告人自身、右会合が延期になったこと等について特段の記憶があるわけではないことを自認しており、また右延期の事実を裏付ける証拠は他に一切ない上、同月二0日付け週刊民社(検察官作成の平成元年二月二七日付け捜査報告書[甲224]に写添付)に昭和五七年八月一0日現に右会合が開催された旨の記事が掲載されていることにも照らし、右供述は措信できない。

右「さむらい会」出席の事実は、前記(一)で被告人横手らが同被告人の同日における行動として供述しているところと明らかに相反するものであって、これもまた、同被告人らの供述の信用性を疑わせるに足りる事由であることはいうまでもない。

(6) 被告人横手、C、H4は、前記(一)(1)、(3)、(4)の各公判廷供述と一連のものとして、公判廷において、H2方でH2の告別式が行われた日である昭和五七年八月一一日の出来事についても供述しているが、これによると、Cは、やはり宿泊していた議員宿舎から、喪服を着て、被告人横手、H4とともに午前九時ころ議員会館の同被告人の事務室に赴き、以後事務室内にとどまり、一一時三0分ころ同被告人、H4、来室したQ県議とともに昼食に出、午後零時前議員会館を出発して、H2方へ向かい、告別式等に出席した後、同被告人とともに議員宿舎に戻ったとされている。

しかしながら、他方、関係証拠によると、H2の死亡に伴い、被告人横手は、その後任の秘書(第一秘書)にとりあえずCを充てることとし、同月一六日衆議院議長に対し、議員秘書採用同意申請書やCの履歴書等を提出したこと、右履歴書にはCの平服姿の写真が貼付されているが、この写真は衆議院内サイトウ写真店で撮影されたスピード写真であること、被告人横手の事務室の領収書綴りのうち同月九日から同月一六日までの期間にかかるものの中には、右サイトウ写真店に関係するものとしては、同月一一日同店がスピード写真料金八00円を領収した旨のレシート一枚が貼付されていることの各事実が認められるのであって、以上によると、Cが同月一一日右サイトウ写真店に平服姿で赴き、スピード写真を撮影させたとの事実を優に推認することができる。そして、右の事実もまた、C、被告人横手、H4の右各公判廷供述と明らかに矛盾することはいうまでもないのであって、ひいては、右の者らの公判廷供述全体の信用性を損なわせるに足りる事由に当たるということができる。

以上の各点を総合すると、前記(一)の被告人横手、H3、C、H4の各公判廷供述は、いずれもその信用性に疑問があり、たやすくこれを措信できないことが明らかというべきである。

4 そうすると、判示第三・六2の現金一00万円の供与の事実にそう前記2のI証言、O検面調書記載供述はいずれもその信用性が極めて高い反面、これと相反する前記3(一)の被告人横手、H3、C、H4の各公判廷供述は、前記3(二)のとおりいずれもその内容に問題があり、結局右I証言、O検面調書記載供述に比し、信用性が著しく低いといわざるを得ない。

従って、右I証言、O検面調書記載供述を初めとする関係証拠により判示第三・六2の事実を認定するについて疑いをいれる余地のないことが明らかであって、この点を争う被告人横手の弁護人の主張は理由がないというべきである。

八  判示第四・三の被告人稲村による各働きかけについて

1 被告人らの弁護人は、被告人稲村の被告人横手に対する判示第四・三1(判示第三・三1)の働きかけを否定する主張をしている。

(一) そこで、検討するに、この点については、まず、被告人横手の昭和六一年四月一六日付け検面調書(一三丁のもの、以下本件調書ともいう。)に、右判示のとおりの被告人稲村からの働きかけがあった旨の供述の記載がされている一方、被告人横手は、公判廷では、右事実を全面的に否定する趣旨の供述をしている。

ところで、関係証拠によると、被告人横手は、事前の連絡を受けて、昭和六一年四月一六日渋谷区検察庁に出頭し、前記田中森一検察官から本件にかかる収賄の容疑について任意の取調べを受け(なお、同日の取調べが同被告人に対する最初の取調べに当たる。)、よって本件調書が作成されたことが明らかである。同被告人は、単に仮よりの設備共同廃棄事業について教えてくれという連絡を受けて出頭したのであって、出頭後も、供述拒否権や被疑事実を告げられたこともなかったし、同日は自分が被疑者として取調べを受けているとは思わなかったとの趣旨を公判廷で供述しているのであるが、右供述は、それ自体不自然な点を多く包含している上、供述拒否権等も告げ、被疑者として取調べることを明示して取調べに当たった旨述べる前記田中の証言にも照らし、これを信用することができず、むしろ、同被告人は、収賄事件の被疑者として、供述拒否権、被疑事実の概要を告げられて、同日の取調べを受けたと認定することができる。なお、同被告人は、右の公判廷供述を前提として、同日作成されて自分が署名押印した文書が自己の供述を録取した供述調書である旨の認識もなかったし、自分の認識、記憶に反する事項が書かれていても、深く考えないで署名押印した旨をも供述しているのであるが、右供述もまた極めて不自然であるのみならず、同被告人自身、O、Iから現金を受け取っていないかと検察官に尋ねられて否定し、断じて金は受け取っていないということが(調書に)書かれたからこれに署名押印したのであり、こうしてできたのがもう一通の同日付け検面調書(三丁のもの)であるなどと、調書の一応の意義を同日当時既に認識していたことを前提とする趣旨の供述もするなど、その公判廷供述自体必ずしも首尾一貫しないのであって、前記田中の証言内容にも照らし、同被告人は、検面調書が自己の被疑事件の捜査に関し、自己の供述内容を録取する趣旨で作成されるものであることを認識していたと優に認めることができるから、この点を理解しないまま検面調書に署名押印した旨の同被告人の前記公判廷供述部分は、到底これを措信することができない。

付言するに、被告人稲村の弁護人は、同月一六日より後の同月一八日ないし同月二六日の取調べの際における検察官の取調方法等を種々論難する趣旨の主張をもしているが、右のような事情は、本件調書の任意性、特信性、信用性を考察するに当たり、特段の関連をもつものではないことが明らかである。

ところで、本件調書中の被告人稲村から右働きかけを受けた旨の供述記載部分について、被告人横手は、取調検察官から、「(あなたの一般質疑についての情報を)Iは稲村の部屋から聞いたと言っている。だからあなたは事前に(質疑の件で)稲村と話をしているに違いない。」と迫られ、また、稲村と話をしたとすれば、稲村はどういうふうに言うか、などとも尋ねられ、押切られた結果、結局、右判示認定と同旨の供述記載が本件調書中になされるに至った、との趣旨を公判廷で供述しているが、かかる経緯によって相当の具体性のある前記供述が本件調書に記載されるに至ったとする右公判廷供述自体、著しく不自然であるというほかない上、前記認定のとおりの取調状況や、右調書記載供述内容自体の重要性、被告人横手の地位、経歴等にも鑑み、また、同被告人の右公判廷供述内容を否定し、「あなたの質問に関して、稲村との間で何かやりとりはなかったか。」と聞いたところ、被告人横手は二0ないし三0秒位考えた後、「そう、ありました、ありました。」と言って、右検面調書記載の趣旨の供述をした旨の前記田中の証言にも照らし、同被告人の右公判廷供述は到底信用することができない。

また、被告人稲村の弁護人は、本件調書の前記供述記載の内容が不自然であるなどと、るる主張するが、所論に即して検討しても、右供述の内容に、特に不自然であってそれ自体信用性を疑わせるようなところがあるとも認めることはできない。

結局、以上検討のとおり、本件調書の任意性についてはこれに疑いをいれる余地がないのみならず、被告人稲村からの働きかけに関する供述記載部分に即して検討しても、その内容自体、具体的、自然であって、特信性を優に肯認し得るのはもちろん、信用性にも高度のものがあると認めることができる一方、右供述記載内容を否定する被告人横手の公判廷供述部分の信用性は著しく低いと認められる。

(二) さらに、関係証拠によると、被告人稲村は、被告人横手の本件一般質疑の直前、その傍聴に赴く前被告人稲村の事務室にあいさつに来た石川県工組の関係者らに対し、今日の質問は自分ではなく被告人横手がやる旨告げた上、「民社党の横手君によく頼んであるから。」と話し、同被告人にあいさつしてくるようにと指示したこと、そこで右石川県工組の関係者らが、同行していたIに連れられて、隣室に当たる被告人横手の事務室を訪れて同被告人にあいさつし、その際仮より糸製造業界の状況についても話したところ、同被告人は、来室したのが被告人稲村と関係の深い石川県のねん糸業者であることを認識した上、稲村先生からもよく頼まれているという趣旨を述べて応じたこと等の各事実が認められるのであるが、右認定にかかる被告人両名の言動は、それ以前に、本件一般質疑において仮より機の設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な質問をするよう、被告人稲村が被告人横手に働きかけていたとの事実をうかがわせるに足りる一つの根拠となり、また前記(一)の本件調書中の右同趣旨の被告人横手の供述の信用性を補強するものであることはいうまでもない。

なお、この関係では、昭和五七年八月一0日開催された石川県工組仮より委員会で、「八月六日衆議院商工委員会で横手が稲村の代弁で本件設備共同廃棄事業について質問した。」との報告がされていることも認められ、これも、被告人両名の石川県工組関係者に対する右各言動を裏付けるものであることに留意すべきである。

被告人稲村の弁護人は、同被告人が被告人横手によく頼んである旨の発言を石川県工組関係者らにしたことはあるが、それは被告人稲村が質問するものと思って来たのに、そうでない旨を告げられて不安を覚え、動揺した県工組関係者らの様子を見た同被告人が、これを鎮静化させようとして、とっさにかかる言動に及んだのであるとの趣旨を主張するが、傍聴に来た石川県工組関係者の中に、被告人稲村から自分が質問するのではない旨を告げられて失望した様子を示す者もいたことは認められるものの、同被告人があえて虚構の事実を述べて鎮静させなければならないほどの不安、動揺を示す者らがいたとの所論を支持するに足りる証拠はないのであって、右の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由のないことが明らかである。

(三) また、押収してあるカセットテープ一巻(昭和六一年押第一0七二号の86)、被告人横手の公判廷供述によると、同被告人は、前記四2の日本撚糸会館落成、撚糸工連創立三0周年記念祝賀パーティーに来賓として招かれてあいさつした際、その中で、本件一般質疑について触れ、「この間、国会で、商工委員会で、私は、稲村先生に発破がかかりまして、その質問に立たしていただきました。」などと述べていることが明らかであるが、かかる被告人横手の言動もまた、同被告人が本件一般質疑前、同質疑に関して被告人稲村から働きかけを受けていたことを裏付け、また、前記(一)の本件調書中の右同趣旨の被告人横手の供述の信用性を補強するものであるということができる。

被告人横手は、公判廷では、自己が右の発言をしたことは肯定しながら、右発言は、パーティーでのあいさつの際におけるもので、また主賓として出席していた被告人稲村に対するリップサービスとしての意味もあり、文脈に乱れもあるが、ここで稲村先生に発破がかかったというのは、被告人稲村が本件一般質疑の席上野次をとばしたこと(判示第三・五2、判示第四・三4)を指しているとの趣旨を供述しているが、右の供述は、前記の発言内容自体と明白に矛盾しており、また、その矛盾は、単に被告人横手が供述するような文脈の乱れとか、被告人稲村に対するリップサービスなどとして説明し尽くされるものでないこともまた明らかであって、結局、右供述はこれを信用することができない。

以上検討の結果に照らし、判示第四・三1(判示第三・三1)のとおりの被告人稲村の被告人横手に対する働きかけの事実を認定するについて疑いをいれる余地はないということができる。

なお、被告人稲村の弁護人は、同被告人の被告人横手に対する判示の言動は、仮にこれが認められるとしても、必ずしも相手方に特定の行為を依頼する意思表示を含むものではなく、儀礼的なあいさつと受け取るのが通常人の常識である、との趣旨をも主張するが、判示のとおりの被告人稲村の本件言動自体、本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な質問を依頼する旨の趣旨を相当具体的に表現していると解されるのであって、その他、右言動の時期、さらには被告人両名の前記(二)、(三)のようなその後の言動等にも照らすに、被告人稲村の本件言動が所論のような儀礼的なあいさつにとどまるものではなく、判示のとおりの質問依頼の趣旨に出たものであったことを優に認定することができるから、右弁護人の主張は理由がないというべきである。

2 被告人稲村の弁護人は判示第四・三2の同被告人による働きかけの事実をも争う主張をしている。

しかしながら、被告人稲村の右判示言動については、同被告人と直接話をした相手であるT1が、同被告人の働きかけを受けた事実及びこれをT6に報告した事実について判示認定にそう証言をしているところ、右証言は、詳細、具体的で、内容も合理的、自然であって、T1の立場、経験等にも照らし、その信用性は高いと認めることができる。そして、この点については、T6もまた、同被告人の働きかけを受けたことに関しT1から報告を受けた旨、概ねT1の証言にそう趣旨の証言をしているのであって、これまた十分に信用に値する。

被告人稲村の弁護人は、T1、T6は、いずれも、右の各状況について、正確な記憶を失っているとの趣旨の主張をするが、所論に即して右各証言の内容を検討しても、その正確性に格別疑いをいれるところがあるとは認められない。なお、被告人稲村の弁護人の主張には、T1が同被告人の働きかけをT6に報告したと証言しているところ、例えば、同被告人から本件設備共同廃棄事業について早くやれ、できるだけ高く買ってやれと言われたとT6に報告したとの点と、T6がT1から右報告を受けたと証言しているところ、例えば、T1から、同被告人は、まあ一層頑張って作業を進めてくれ、ないし、一生懸命やってくれという趣旨を言っていたと報告されたとの点とが齟齬している旨指摘するところもあるが、所論指摘の点については、T1の証言がその具体性等に照らしより正確であるとは認められるものの、T6の証言にかかるT1の右報告内容も、その趣旨においてT1の証言内容と格別矛盾するものではなく、現にT6自身、当時の状況にも照らし、被告人稲村は、この点、要するに、本件設備共同廃棄事業を早く実施できるようにし、かつ、価格についても業界の要望なりを踏まえてよく検討してやって欲しいということを言っているものと理解した旨証言していることに鑑みても、両者の証言に齟齬があるとの趣旨の右所論は失当であるというべきである。また、被告人稲村の弁護人は、T1が、同被告人から被告人横手の質問に対してちゃんと答えるように局長に言っておけと言われたとしつつ、T6局長に対しては前向きに答弁するようにと言われたと伝えた旨証言していることを例に引いて、T1の伝言が不正確であったとの趣旨をも主張しているが、ここで被告人稲村がT1に述べたちゃんと答えるようにということの意義は、当時の本件設備共同廃棄事業をめぐる状況、被告人稲村の同事業に対する関与の経緯、同被告人が同時に「早くやってやれ。できるだけ高く買ってやれ。」との言動に及んでいること等にも照らし、本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な積極的答弁、即ちまさに前向きの答弁を求める趣旨にあったことが明らかというべく、従って、T1が、T6に対し、その趣旨を端的に表現して、同被告人から前向きの答弁を求められた旨報告したとしても、そこに何らの齟齬があるわけでもないから、所論もまた理由がない。

結局、以上検討の点にも照らし、信用性が高いと認められるT1、T6の各証言によると、判示第四・三2の事実を優に認定し得ることが明らかであって、この点を争う被告人稲村の弁護人の主張はすべて理由がない。

3 被告人稲村の弁護人は、被告人横手の本件質問の直前における被告人稲村のT6に対する判示第四・三3の働きかけについて、判示認定にそう内容を供述しているT6の証言の信用性を論難するが、右の主張に即して検討しても、T6の右証言の信用性には疑いをいれる余地がないと認められるから、所論は理由がなく、また、右T6の証言等によれば、右判示のとおりの事実を優に認定し得ることが明らかである。

なお、T6は、判示「うまく答えてやってくれよ。」との被告人稲村の言動の意義について、「できるだけ早く実施できるようにやっておると、積極的な答弁ですね、そういうことを言っておられるのではないかと、価格の点についても同じようにどこまで撚糸工連の趣旨でおっしゃっておられるかどうかそれは分かりませんけれども、いずれにしても残存簿価の三分の一(注。三倍の誤まり。)、そのとおりでは非常に実態に合わないと、そこはよく考えてくれというようなご趣旨でおっしゃっておられるのではないかというように感じたわけであります。」とも証言しているところ、被告人稲村の弁護人は、かかるT6の受け取り方は極めて独断的で、過剰な反応というべく、被告人稲村の右のような言動は、かりにそれが認められるとしても、単なる儀礼的なあいさつ程度のものに過ぎない旨主張している。しかしながら、T6自身が指摘するように、T6は、判示第二・四のとおり、従来より被告人稲村から本件設備共同廃棄事業を早く実施するように等の働きかけを受け(右働きかけの事実はT6の証言を初めとする関係証拠により十分認定することができる。)、また、前記2のとおり、本件質疑の前々日の昭和五七年八月四日には、T1から、本件設備共同廃棄事業に関する作業の進捗状況(なお、当時、本件設備共同廃棄事業に関する作業では、特に買上価格と実施時期の点がなお懸案として残っていたことは、既に説示したとおりである。)について同被告人に報告したこと、同被告人から、早くやれ、できるだけ高く買ってやれとの趣旨を言われたこと、本件一般質疑で被告人横手の質問に対し前向きに答弁するように局長に伝えておくようにと言われたこと等の報告をも受けていたのであるから、かかる一連の経緯に照らしてみるに、T6が被告人横手の本件一般質疑の直前、その会場内で被告人稲村から判示のとおり話しかけられて、その趣旨を右証言のとおりに理解したというのは、むしろまことに自然なことであると解され、同被告人もまたかかる趣旨のもとに、即ち、被告人横手の本件設備共同廃棄事業に関する質問に対し撚糸工連のため有利な答弁をするようしょうようする趣旨でかかる言動に及んだものと優に認定することができるのである。従って、被告人稲村の弁護人の右主張もまた採用の限りでない。

4 判示第四・三4の本件一般質疑中における被告人稲村の発言の事実は、関係各証拠により優にこれを認めることができる。

被告人稲村の弁護人は、同被告人の判示発言が質疑の内容に影響を及ぼしたことはないとの趣旨を主張するが、本件一般質疑の経緯は、判示第三・五2、前記六のとおりであって、かかる事実関係に徴すると、右弁護人の主張も理由がないというべく、なお、右のとおりの本件一般質疑の経緯、判示第二・四、前記(一)ないし(三)のとおりの、同被告人によるT6、被告人横手に対する従前の働きかけの経緯、内容にも鑑みると、本件一般質疑中における被告人稲村の判示「検討ばかりではだめだ。」との発言が、本件設備共同廃棄事業に関して、一面、T6に対しさらに撚糸工連のため有利な具体的答弁をするよう求めるとともに、他面、被告人横手に対しさらに撚糸工連のため有利な答弁を引出すべく質問を続けるよう促す趣旨に出たものであったことを優に認定することができる。

九  判示第四・五の現金五00万円の収受について

1 被告人稲村の弁護人は、同被告人による判示第四・五の現金五00万円の収受の事実を争う趣旨の主張をしている。

(一) しかしながら、Iは、公判廷で、昭和五七年九月初旬か中旬ころ被告人稲村から五00万円の要求があった旨Oに告げられ、その供与についてOと相談を遂げ、五00万円の現金を奉書紙に包むなどして準備した上、九月下旬ころ(ただし、時期については若干の幅があり得るが、八月以前ということはなく、一一月一二日の記念式典の後ということもない。)、同被告人の判示居室にOと二人で赴き、その際右現金を同被告人に供与したこと等判示五00万円の現金を供与するに至った経緯、供与の状況等について、判示認定にそう証言をしているところ、Iの証言の信用性が一般的に高いと認められることは既に前記一1で説示したとおりであるのみならず、右の証言部分も、詳細、具体的で、内容も合理的で自然であり、関係証拠により認められる本件当時の情況ともよく符合し、その信用性は高いということができる。

そして、この点については、Oの検面調書にも、同年九月中旬ころ、被告人稲村から五00万円の要求があり、その供与方を約束したこと、その後、Iに同被告人の右要求について話し、現金五00万円の準備方等を指示したこと、同月下旬ころ、Iとともに同被告人の判示居室を訪れ、その際同被告人に現金五00万円を供与したこと等、やはり、判示五00万円の現金を供与するに至った経緯、供与の状況等について、判示認定にそう供述の記載がされているのであるが、Oの検面調書記載供述の信用性が一般的に高いと認められることも既に前記一2で説示したとおりであるのみならず、右の供述部分も、詳細、具体的で、内容も合理的で自然であり、前記のとおり信用性が高いと認められるIの証言を初めとする関係各証拠とも概ねよく符合していると認められるのであって、その信用性は高いと認めることができる。これに反し、Oは、公判廷では、被告人稲村に対して判示の現金五00万円を供与した記憶はなく、そのようなことはなかったと思うなどと、右検面調書記載供述と大幅に相反する証言をするに至っているが、右証言部分は、捜査当時自己の記憶に反する内容を取調検察官に対して供述したという理由として証言しているところをも含め、不自然、不合理な点を多々包含し、他の関係各証拠とも矛盾するところが多く、これを信用することができない。

なお、当時撚糸工連の業務課長兼経理課長であったYも、公判廷で、昭和五七年の秋ころ(同年一一月初めの事務所移転の前後ころ)、Iから、「いなさこさん(被告人稲村の意)へ五00万円持って行くので体裁のいいように包んでくれないか。」と指示され、Iの準備した現金五00万円を包装紙で包んだ旨証言し、また、前記H4の検面調書にも、昭和五七年秋ころ(九月下旬ころだったかもしれない、とする。)、O、Iが本件設備共同廃棄事業の礼のため被告人稲村の私邸を訪ねて来たことがあったとし、その訪問前の連絡ないしO、Iがその際同被告人方にやって来たときの状況等として、右I証言、O検面調書供述に相応する内容を述べる供述が記載されているのであるが、これらの証拠も、判示五00万円の授受の認定を裏付けるものであることはいうまでもない(H1の証言中右検面調書記載供述と相反する部分は信用できない。)。

(二)(1) 被告人稲村の弁護人は種々の理由を挙げて、右判示現金収受の事実を争うが、その多くは、前記のとおり信用できないと認められるOの証言等に基づいて、I証言やO検面調書記載供述等の内容を論難する主張であって、前記(一)で説示したところにも照らし、その前提において失当であることが明らかである。

(2) また、被告人稲村の弁護人は、関係証拠上も本件現金五00万円の授受が行われたとされる日時は明らかでない旨をも主張するが、関係証拠、ことにIの証言、Oの昭和六一年四月二八日付け検面調書、H1の同月二九日付け検面調書によれば、右の日時は昭和五七年九月下旬ころであると優に認定することができるから、右の主張も理由がない(Yの前記(一)の証言は、日時についての同人の記憶がかなりあいまいであることを示しているが、右証言も、本件現金の授受の日時が同月下旬ころであると認定することについて妨げとなるようなものではないことが明らかである。)。

(3) 被告人稲村の弁護人は、判示の五00万円については、資金源の立証に問題があるとの趣旨と解される主張をもしているので検討するに、関係証拠によると、以下の事実を認めることができる。

イ イタリー式ねん糸機については、(仮より機同様)撚糸工連の自主規制規定である総合調整規則、団体法五七条に基づくねん糸調整規則、同法五八条に基づくねん糸機設置制限規則が適用されて、設備登録制が敷かれ、無籍(未登録)の機械の使用が禁止されるとともに、新規の登録は、廃棄又は滅失した機械に代えて従前の機械の能力の範囲内で新たに機械を設置した場合(いわゆるスクラップアンドビルドの場合)等ごく限定的な場合にのみ認められることとなっていた。なお、右登録にかかる業務は、通産大臣から委託されて撚糸工連がこれを行っていた。

ロ しかし、ねん糸業界では、一時のブームにより、無籍のイタリー式ねん糸機が大量に発生した。撚糸工連や産地組合では、余剰の登録済み機械を破砕して、代りに無籍の機械に登録を得させる方法によるあっせんを行い、無籍機械の解消に努めたが、石川県内ではなおこれを解消させられないでいた。

ハ そこで、O、Iや、石川県工組専務理事Zらは、撚糸工連で右登録にかかる登録票を不正に作り、これを無籍の機械の所有者に売却しようと企て、結局、昭和五七年五月までの間に九五台分についてかかる方法により不正の登録票を発行し、その代金として一台につき二六万円を右の所有者らから徴収した。

ニ 右Zは、こうして得た合計二四七0万円の金員を、昭和五七年五月下旬、北国銀行本店の石川県撚糸協会O名義の口座に入金した後、同年六月四日、Oの指示により、このうち二四二四万円余を払い戻して、額面二七00万円の国債を購入した。しかし、Zは、同月一五日ころ、Oから、国債を売却して、そのうちの八一六万円を同月二四日までにIに届けるよう指示されたため、そのころ、野村証券金沢支店、勧業角丸証券金沢支店でそれぞれ国債を売却し、同月二四日、右勧業角丸証券金沢支店で売却した国債の代金の一部である八一六万円の現金を携えて上京し、撚糸工連事務所でこれをIに渡した。

ホ Iは、右八一六万円の現金を撚糸工連の事務所で簿外資金として保管、管理し、判示第三・六の被告人横手に供与した現金二00万円、判示第四・五の被告人稲村に供与した現金五00万円は、いずれも右八一六万円の中から出捐された。

へ 昭和五七年七月ころから、OとIは、右八一六万円の中から、U常務理事、I、Yに対し闇手当を支給しようと話合い、その旨合意していた。しかし、右八一六万円の資金は、前記のとおり被告人両名に対する供与等のため費消されてしまったので、同年一二月ころ、Iは、Yに対し、先日被告人稲村に渡した五00万円の精算をしてもらいたいので、これを公表経理の方から払い出すようにと指示し、Yは右指示を受け、Iに対する五00万円の仮払金の振替伝票を起こして、第一勧業銀行新宿支店の撚糸工連の普通預金口座から現金五00万を払い戻し、これをIに渡した。Iは、そのころ、この中からUに対し二00万円、I自身及びYに対し各一00万円の闇手当を支給した。なお、右の五00万円については、昭和五八年九月ころ、撚糸工連の経理上損金に計上して処理する旨の取扱がされた。

以上の各事実に照らすと、判示五00万円に関する資金源の立証にも格別不十分なところのないことが明らかであるから、被告人稲村の弁護人の前記主張もまたこれを採用するには足りない。

2 被告人稲村の弁護人は、判示の五00万円は、(かりにその授受が認められるとしても、)選挙の陣中見舞いが繰り上げ支出されたに過ぎない旨主張する。

しかしながら、関係証拠、ことに、Oの昭和六一年四月二八日付け検面調書によると、本件設備共同廃棄事業に関する原紡課、計画課の合意も成り、昭和五七年内に右事業が実施されることが確実になった同年九月中旬ころ、被告人稲村が、Oに電話して、同人に対し、「設廃事業も今年中にできるようになってよかったな。おれも頑張った甲斐があったよ。五00ほど頼めるか。」と述べて五00万円の供与方を要求したこと、これに対し、Oも、「先生のおかげですよ。今年中にできるようになってOの面子も立ちます。近くご自宅に持って上がりますから。」と述べて右要求に応じたこと等が認められるのであって、かかる同被告人、Oの各言動自体に、判示第二・四のとおりの本件設備共同廃棄事業に関するOらの同被告人に対する従前の陳情の状況や、前記のとおりの当時における本件設備共同廃棄事業関連作業の進捗状況等の背景事情をも併せて勘案するに、右五00万円が、本件設備共同廃棄事業に関する同被告人の助力に対する報酬として要求され、また、かかるものとしてOによりその供与方が約束されたものであることについて疑いをいれる余地はなく、なお、関係各証拠、ことにIの証言、Oの右検面調書によると、Iも、Oから同被告人の右要求について告げられ、前記のとおりの要求の趣旨を了解した上でその供与方につき同意したものと認めることができる。そして、本件設備共同廃棄事業に関し被告人稲村が撚糸工連のためにした助力の中には、判示第四・三のとおり、被告人横手に対し、本件一般質疑で本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な質問をしてもらいたい旨依頼する一方、通産省幹部に対し、右事業を早期に実施するとともに同事業における仮より機の買上価格を高額に設定するなど撚糸工連のため有利に取り計らうよう要求し、かつ同被告人の右質問に対し撚糸工連に有利な答弁をするようしょうようする行為が含まれることはいうまでもなく、また、関係証拠によれば、O、Iは、被告人稲村が撚糸工連のためかかる行為をしてくれたものと認識し、かかる行為をも含む同被告人の本件設備共同廃棄事業に関する尽力に対する報酬として本件五00万円を供与したこともまた明らかなところであるから、結局右五00万円の供与の趣旨を判示第四・四のとおり認定することについて疑いをいれる余地はないというべきである。付言するに、被告人稲村の弁護人の前記主張については、何らこれを支持するに足りる証拠がないのであって、所論が引用するOの証言も、本件後の最初の総選挙である昭和五八年の総選挙については、陣中見舞いを出す時期を失してしまい、その後の大臣就任祝いと一緒にした旨を述べているに過ぎないことが明らかであるし、やはり所論が引用するIの証言も、OがIに被告人稲村の本件要求を伝えた際、金額が大きいとの感想をもらしたIをいわば説得する手段として、次の選挙の陣中見舞いの分も含むということにすれば五00万円を出してもいいだろうと述べたというものであるに過ぎないのであって、特段右主張の根拠となるべき性質のものではないのである。

以上の検討の結果に照らし、被告人稲村の弁護人の右主張も理由がないというほかはない。

第二  判示第四・三の各行為と職務権限との関係について

一  被告人稲村が衆議院議員、同院商工委員として判示第四・一3(判示第三・一4)の職務権限を有していたことは明らかであるところ、同被告人の判示第四・三1の行為、即ち、同被告人がやはり同院商工委員である被告人横手に対し、同委員会の議事である本件一般質疑に関し、一定趣旨の質問をするようあらかじめ依頼して働きかける行為は、右の職務との関係で、これと密接に関係する行為に当たると解することができる。

判示第四・三4の本件一般質疑中における被告人稲村の発言は、前記第一・八4でも説示したとおり、一面被告人横手に対する右同趣旨の働きかけの意味をもつ行為であったと認められるのであるが、かかる働きかけもまた、右同様、被告人稲村の前記の職務と密接に関係する行為に当たると解すべきである。

二 次に、判示第四・三2ないし4の被告人稲村の通産省幹部(具体的にはT6生活産業局長、T1原紡課長)に対する各働きかけについて検討する。なお、判示第四・三4の本件一般質疑中における被告人稲村の発言は、前記一のとおり一面被告人横手に対する働きかけとしての意味を有するとともに、他面、T6に対する働きかけとしての意味をも有していると認められるのであるから、右発言の点もここでの検討の対象とすることとする。

1  被告人稲村の弁護人は、「同被告人の右各言動は、いずれも日常の儀礼的なあいさつ言葉に類するものであって、百歩を譲っても、政治家として通常行政部に対して行ってきた陳情以上のものではないのに、これらを国政調査権を有する商工委員会の委員たる立場から行ったなどと解することは、法理的にも不当である。」旨主張する。

2  しかしながら、被告人稲村の通産省幹部に対する判示第四・三2ないし4の各言動が、単なる日常のあいさつという程度にとどまるものではなく、右判示のとおりの働きかけとしての意味を有する行為であったことは、すでに前記第一・八2ないし4で説示したとおりであるのみならず、右各働きかけは、判示第四・二(判示第三・二)認定の事情にも照らすと、国政調査として近日中に商工委員会の質疑が行われることが具体的に予定され、かつ既に右一般質疑を行う予定の商工委員である被告人横手に判示第四・三1のとおりの依頼をしてある状況のもとで、あるいはその質疑の際、その質疑について一定内容の積極的な答弁をするよう、質疑の相手方たる行政機関の責任者(T6生活産業局長)に、直接又はその直属の部下である右行政機関の幹部(T1原紡課長)を介してしょうようし、さらに、そのしょうようと一体のものとして、右質疑対象事項について、前記答弁内容に相応する趣旨の積極的な取り計らい方を右T6及びT1に要求する(なお、判示第四・二2の被告人稲村のT1に対する右取り計らい方要求は、その内容自体、判示のとおりの右要求の経緯、状況にも照らし、T1の直属の上司であるT6に対する要求としての趣旨をも有しているものと認められる。)という趣旨に出たものであると認められるのであって、かかる行為が、所論のいわゆる政治家としての行政部に対する通常の陳情の範囲内にとどまる行為であるとは到底いうことができない。

いうまでもなく、議院ないしその委員会の国政調査権は、議院内閣制に由来する国会の行政部に対する監督権をその一つの根拠としているもので、本件一般質疑は、まさに商工委員会の通商産業の基本施策に関する事項等にかかる国政調査の一環として行われたものであることはすでに説示したとおりである。なお、かかる質疑の性格上、その際における政府委員等の答弁は、それ自体、国会に対する関係行政部の責任の根拠ともなり得る関係にあると解されるのであるが、このことは、所論指摘のように議院、委員会が行政機関に対し何らかの行政行為を働きかけることは国政調査権の内容ではないことと格別矛盾するものではない。

しかるところ、被告人稲村の判示第四・三2ないし4の各行為は、右認定のとおりの状況のもとで、衆議院商工委員会委員として判示の職務権限を有する被告人稲村が、同委員会の国政調査の一環として行われる本件一般質疑で答弁に当たる政府委員である前記T6に対し、右質疑に関して前記認定のとおりの答弁のしょうようを行って、まさに直接的に質疑内容に影響を及ぼそうとし、あるいは、右しょうようと同じ機会にこれと一体のものとして、右T6及びその直属の部下である右T1に対し、右質疑対象事項について、右答弁内容に相応する趣旨の取り計らい方の要求をも行ったというものであるから、これらは、いずれも、同被告人の前記職務と密接に関係する行為に当たると解するのが相当である。

付言するに、判示のとおり、被告人稲村は、本件一般質疑の際質疑者となって自ら質疑を行ったものではないが、このことは、商工委員の有する職務権限自体には、質疑者と否とでその間に差異はないこと、具体的にも、同被告人自身、本件質疑事項である本件設備共同廃棄事業の問題について委員会で発言し、さらに質疑を求めるなどすることが可能であったこと、同被告人は右のとおり本件質疑の相手方である通産省の責任者に働きかけるとともに、他方、判示第四・三1(前記一)のとおり本件の質疑者である被告人横手に対しても右質疑内容について働きかけていたのであり、そうすると、本件の実態には、被告人稲村が自ら質疑者になっていた場合と近いものがあると考えられること等の各点に照らすと、格別前記の結論を左右するものではないというべきである。

なお、被告人稲村の弁護人は、所論の根拠として、昭和一二年三月二六日大審院判決刑集一六巻四一0頁を援用しているが、右判例は、本件のように議院ないしその委員会の国政調査に関連して行われた行為を扱ったものではないから、本件とは事案を異にするといわなければならない。

3 従って、被告人稲村の弁護人の右1の主張も、理由のないことが明らかというべきである。

(法令の適用)

被告人横手文雄の判示認定事実第三・六の所為は包括して刑法一九七条一項後段に、被告人稲村左近四郎の判示認定事実第四・五の所為は同条同項前段に、それぞれ該当するので、各所定刑期の範囲内で、被告人横手を懲役二年に、被告人稲村を懲役二年六月にそれぞれ処し、情状により同法二五条一項を適用して被告人両名に対しこの裁判の確定した日から三年間いずれもその刑の執行を猶予し、なお、被告人両名が判示各犯行により収受した賄賂はいずれもこれを没収することができないので、同法一九七条の五後段により、その価額として、被告人横手から金二00万円を、被告人稲村から金五00万円をそれぞれ追徴し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、そのうち証人A、同B、同H3、同D、同E、同F、同H4、同宮本浩次、同J及び同Kに支給した分は被告人横手に、証人L及び同Mに支給した分は被告人稲村に、それぞれ負担させ、その余はその二分の一ずつを各被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

被告人横手の本件犯罪は、判示のとおり、衆議院商工委員会で国政調査の一環として本件一般質疑が行われるに当たり、衆議院議員で同院商工委員であった同被告人が、右質疑の際本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な質問をするようその幹部から請託を受けてこれを引受けた上、その報酬として現金一00万円の賄賂を供与されてこれを収受し、さらに右請託の趣旨に従って現に撚糸工連のため有利な質問を行った後、その報酬としてまたも現金一00万円の賄賂を供与されてこれを収受したというものであり、被告人稲村の本件犯罪は、判示のとおり、被告人横手が本件一般質疑で質問するに当たり、やはり衆議院議員で同院商工委員であった被告人稲村が、本件設備共同廃棄事業に関し撚糸工連のため有利な質問をするよう被告人横手に働きかけ、また、同被告人の右質問に対して撚糸工連のため有利な答弁をするとともに、右事業を撚糸工連のため有利に取り計らうよう通産省幹部に働きかけ、右各働きかけの報酬等の趣旨で現金五00万円の賄賂を撚糸工連幹部から収受したというものである。

国政調査権が議院及びその委員会に付与された極めて重要な国政上の権限であり、その行使自体公正であることが要求されることはいうまでもない上、右設備共同廃棄事業も、判示のとおり、中小企業構造の改善のため多額の高度化資金を長期、無利子で融資して行われるもので、かかる事業の性質にも照らし、該事業の実施の可否ないしその内容を決するに当たっては、関係行政当局が、単に一業界の立場に偏することなく、わが国の中小企業構造ないし産業構造全般にわたる長期的観点から、適切で公平な判断を加えることが要求されることもまたいうまでもないところである。しかるに、被告人らが右のような行為に出たことは、国会議員等として有する国政調査に関与する権限をまさに金銭的利得を得る手段としたものという非難を免れず、国民の国政に対する信頼を著しく損ない兼ねない上、右のとおり公平、公正であるべき高度化資金融資関係の行政ひいては行政全般に対する国民の不信をも醸成、蔓延させかねないものであり、その犯情はまことに悪質というほかはない。

そこで、以上の点を前提として、さらに各被告人に関する個別の事情を検討する。

一  被告人横手文雄

被告人横手については、以上説示の本件両被告人に共通の事情のほか、判示のとおり、同被告人は自己の職務行為について請託を受けた上で賄賂を収受したものであること、公判廷で信用し難いと認められる弁解に終始する等反省しているとは認められないことなどの事情も認められるのであって、以上を総合すると、その刑責はまことに重いというべきである。

しかしながら、他方、同被告人は、判示の経緯で本件賄賂を供与されたものであって、自身これを要求するなどしたことはなかったと認められること、長く労働組合幹部をした後昭和五四年から昭和六一年までは衆議院議員を務めるなど、国政の面でも社会的にも、相応の貢献をしてきたと認められること、前科前歴がないこと等、同被告人のため酌むべき事情のあることも認められる。

二  被告人稲村左近四郎

被告人稲村については、前記説示の本件両被告人に共通の事情のほか、同被告人は、判示のとおり、自ら五00万円という多額の金額を指定して賄賂の供与方を要求するなどした上で、これを収受したと認められること、やはり反省しているとは認め難いこと等の事情も認められ、これらを総合すると、その刑責もまたまことに重いというべきである。

しかしながら、他方、同被告人は昭和三八年から昭和六一年まで衆議院議員の地位にあって、その間国務大臣等も歴任し、国政等に相応の貢献をしてきたと認められること、前科前歴がないこと等同被告人のため酌むべき事情のあることも認められる。

そこで、当裁判所は、以上の諸事情を総合考慮して、被告人両名を主文掲記の各刑に処した上、いずれもその刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松本昭徳 裁判官木口信之 裁判官手塚 明)

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